はいふりオタクとして観たときのアニメ「刀使ノ巫女」

さて、夏アニメもそろそろ佳境に差し掛かってきた時期ではありますが、今回は2018年1月から2クールに渡って放送を続けてきて、世のオタクたちを震わせた(と、少なくとも僕自身は確信しています)名作アニメ「刀使ノ巫女」、その「刀使ノ巫女」について僕自身がなぜこんなにもハマったのかをお話したいと思います。

 

というのも、冬アニメの感想雑語りをしたときにもほんの少し述べましたが、僕はこの手の骨太なストーリーをもつ「美少女×◯◯」的なコンテンツが大好物であり、実際「刀使ノ巫女」についても放送前からかなり期待していたというのは事実です。そんな僕が愛してやまないアニメコンテンツが他にあります。それは「ハイスクール・フリート」、通称「はいふり」です。「はいふり」についての細かい紹介は省きますが、これもまた「美少女×艦艇ミリタリー」という組み合わせで、ストーリーテラー吉田玲子女史による骨太なお話が期待されたアニメでした。まあ、ここでは「期待された」という部分がミソになるのですが・・

 

そんなわけで、今回の記事の主旨といたしましては、「はいふり」が好きという僕の思いをベースにした際の「刀使ノ巫女」評を書いてみようといったものです。

 

刀使ノ巫女」のアニメが放送開始する前、また放送開始当初くらいの印象として「このアニメははいふりに近い」という直感のようなものを感じていたのを覚えています。艦艇を擬人化してウケた「艦これ」の後発作品として艦艇に美少女を乗せたのが「はいふり」なら、刀剣を擬人化してウケた「刀剣乱舞」の後発作品として日本刀を美少女に持たせたのが「刀使ノ巫女」だなと*1。しかも、いざ放送が始まってみれば1話の最後で主人公が「世界の敵」扱いされてしまう*2というところまで同じであるということで、ますます「はいふり」感を勝手に感じてしまっていたわけです。
 
このとき、僕は「刀使ノ巫女」に2種類の異なる期待を抱きました。1つ目は「第2のはいふり」的なアニメにならないかなという期待、これはストーリー的な部分では多少甘いところがあってもいいからキャラクターを愛していけるアニメになってくれればいいなというものです。というかキャラクターについていろいろ描写しようと思ったら本筋のストーリーの方を描く尺が足りなくなるでしょっていうのもあるので*3、「キャラアニメ」っていうのは多少ストーリーが甘いものなんだと思います。特に「はいふり」はキャラクターが多いですからね。
 
一方で違う期待も抱いていました。それは「はいふりにできなかったことをやってくれるアニメ」にならないかなという期待、つまり「はいふり」ではやや消化不良に終わってしまった骨太なストーリーが見たいというものです。自分の好物である「美少女×◯◯」+骨太なストーリー要素というアニメを今度こそ消化不良を起こさずに観たいという思い、それは間違いなく自分の中に渦巻いていました。「刀使ノ巫女」はそんな自分の欲求に対して応えてくれるんじゃないか、そういう思いがあったからこそこのツイートをしたわけです。

 

ここで一旦、僕が「はいふり」というアニメをどのように捉えているのかについて整理していきたいと思います。実際、Twitterのbioでは好きなアニメとして「はいふり」を挙げてるし、アイコンは知床鈴ちゃんだし、ヘッダーも宇田慧ちゃんにしてるわけですが、よくよく考えてみれば「はいふり」というアニメそのものについてはあまり語ってこなかったのです。(そもそも過去作について語るということがそんなにないわけですけど)まあとりあえず、まず断っておきたいのは、いま僕は「はいふり」というアニメのことはすごく好いているということです。
 
ここからはぶっちゃけの話になるのですが、僕は「はいふり」を2016年の6月に見終わった時点ではかなり低く評価していました。結局シリアスをやりたかったのか日常系的なノリで進めたかったのかどっちつかずでわからなかったし、ストーリー展開自体もよくできているとは思えず、キャラクターもあまり覚えられなかった、という感じで同じクールの中でも結局方向性がよくわからなかった「マヨイガ」、最終回の展開でプチ炎上状態になった「くまみこ」と合わせて「残念枠」扱いでした。僕と同じようにアニメを見る友人と会話する中でも「なんだかもったいないアニメだったよなー」とか喋ってたのを覚えています。
 
そんな「はいふり」だったのですが、友人と放送終了後も度々話題にしていたということもあり、2017年冬に再放送されるとなったとき「もう1回見てみようか」と再視聴を決意。そこから徐々にこのアニメに対する評価が変わっていきます。2周目ということで、改めてキャラクターも把握し直した状態で「はいふり」と対面することになるのですが、やっぱりかわいいなと思うわけです。もちろんキャラクターデザインが良いのでそう感じられるというのはあるのだけれど、2周目ともなるとキャラそれぞれの性格や考え方まで見えてくる(見る余裕ができる)んですよね。そして5月発売のOVA、あれでもう完全にはいふりのオタクと化しましたね。OVAは納沙幸子がメインなのですが、はれかぜ乗員のオフでの様子が見ることができて・・今回の記事の主旨からはズレるのでこの辺にしておきますが、とにかくはいふりはキャラコンテンツとしては非常によくできているというわけです。
 
 
結局、じゃあ「はいふり」に対する認識も改めることができてめでたしめでたしなのかというと、そういうわけにはいきません。依然、放送終了直後に抱いた「はいふり」への不満、「はいふり」では満たされなかった欲求のようなものは残り続けていました。「キャラコンテンツ」としてであれば「はいふり」は十分すぎるほどに魅力的だけれど、「1本のアニメ作品」としてみたときには「自分の中で見たいと思っているもの」とのズレがある、はいふり放送後から数えれば1年半、はいふりのオタクになれた時から数えても半年以上そのようなもやもや*4を抱えてきた、ということになります。そんなときに僕が出会ったアニメ「刀使ノ巫女」、この「刀使ノ巫女」が実際どのような作品だったのか振り返ってみたいと思います。(ようやく本題です)
 
 まず、なんといっても「刀使ノ巫女」は2クールアニメであるということ、これは大きかったかと思います。尺が不足した結果展開が雑になるという問題を2クールアニメは解消します。刀使ノ巫女におけるラスボスはタギツヒメだったわけですが、そのタギツヒメを倒す*5までの流れがきっちり描写されていた、というのは視聴者としては大変満足できるものでした。1クール目の最後でタギツヒメ in 折神紫に立ち向かっていく流れ、ああいう仲間が道を用意してくれるという展開も王道的で良いですし、実は紫さまも内側からタギツヒメの力を抑えてくれていた、というのもアツいですよね。そして可奈美の覚醒と姫和の真の一の太刀でタギツヒメを倒すという全員が輝く展開、すばらしいですね。
 
しかし、それで終わりじゃない。まあ色々と謎な部分は残っていましたし、やっぱり1クールじゃ尺は足りないんですね。そして迎えた2クール目、実はタギツヒメを倒せていなかった、いや、結構な打撃は与えているんですけどね。紫さまが仲間になってくれたのはすごく心強かったと思います。可奈美は間違いなく最強の刀使の1人だと思いますけど、それでもやっぱり紫さまがいてくれるかいてくれないかでは差はだいぶ大きいんじゃないでしょうか。タギツヒメは大暴れですね、紫という鎖も外れ、タキリヒメを取り込み、あの時点で in 折神紫の頃は超えていたんじゃないでしょうか。逆に言えばやっぱり紫は最後のところまでタギツヒメに侵食させなかった、ということでしょう。本当に強いお方です。
 
結局、姫和ごとイチキシマヒメまで取り込んだタギツヒメは今度こそ万全の状態で目的を果たそうとするわけですが、可奈美と姫和の刀はそれをさせなかった、まさに最強となったタギツヒメに対して最強の衛藤可奈美、そして十条姫和が向かっていくわけです。本当に強すぎる展開、このアニメを信じてきてよかったと。最終話には隠世での母親との再開、別れ、そして現世に戻っていく可奈美と姫和というあまりにも綺麗な展開に語彙力を失っていました。その時のツイートがこれです。

 

そして僕は思うのです。2クールだからこそのこの展開だなと、タギツヒメをただの敵役として終わらせるのではなく、また彼女も剣術で誰かと通じ合いたい、そういう純粋さも持っているんだということを描写できるのです。世界を混沌への危機から救いつつ、タギツヒメもまた救われる側であるんだということをしっかり描写できている、ということは1クール目から一貫して示してきたテーマでもあります。しかもその上でガス抜きができる。15話「怠け者の一分」は益子の刀使の誇りと覚悟が見られるという意味でも重要な回ですが、「へいへーい、沙耶香ビビってるー」「しょうちした、きさまはきる」などネタ的に美味しいセリフやフレーズがたくさん出てきます。こうした回を挟むことでよりキャラクターのことをより好きになれる、アニメにおいては非常に重要な要素であるといえると思います。

 

はいふり」でもこうしたガス抜きの回があります。皆さんご承知の通り、10話「赤道祭でハッピー!」がそれです。「航海科の後悔ラップ」なんかが人気がありますけど、僕はマロンちゃんの「わざとらしいことしなくていいんだよ」ってセリフが好きですね(だからなに)。ヒメちゃんの意外な特技とかもわかる回なんですよね。ああいう回はキャラクターの掘り下げができるのですごく貴重なんです。特にはいふりはキャラコンテンツなので「赤道祭回」は絶対必要だった、だけど残り話数が少ない中ネズミの件も結局どういうことなのかよくわからないまま迎えた回だったため当時は批判もされたんだと思います。2クールあればその辺の問題についても扱いつつ、キャラクターの掘り下げにももっと時間をかけられた、こうしたところは普通にもったいなかったなと思わされるわけです。

 

もう1ついえるのが「刀使ノ巫女」はキャラクター配置がすごくきれいにハマっていた、ということです。2クールの中でストーリーを着実に進行させつつ、各キャラクターに関して掘り下げを行っていく、ということを考えたとき、メイン6人と準メインとしての親衛隊4人というのは非常にバランスが良かったと今になって思うわけです。2クールあったとしてもキャラクターの数が多ければそれを全員時間をとって掘り下げるというのは無理があります。舞衣やエレンの家族のことや益子の刀使としての考え方などは十分に時間をかけて取り上げるべきテーマだと言えます。「はいふり」でそのレベルの掘り下げが行えていたのは艦長の岬明乃くらいでしょう。他のキャラクターに関しては趣味や性格というレベルでなら掘り下げられていた部分は多かったですが*6、行動原理や考え方の奥底にあるものまではあまり触れられませんでした。ストーリーが重みを帯びれば帯びるほど、その中での振る舞いにおいてキャラクター自身の考え方というのは大きな意味を持ってきます。「刀使ノ巫女」はストーリーがよくできている分、キャラクターの行動の理由にも重みを持たせる必要があったのですが、その理由付けも非常に丁寧に行っていた印象です。

 

  • 結論
僕は「刀使ノ巫女」というアニメに対してかつてないくらいの満足感を覚えています。このアニメは「はいふり」と同じく僕の好みのストライクゾーン真ん中の要素を備えたものであり、その上でストーリー面でも非常に出来が良かったという感想です。そして、そのことの前提となる要因はなんなのかというのを「はいふり」と見比べて考えたとき、2クールでいろいろできる尺があるということと、キャラクターの人数的なバランスが絶妙であるということがあげられるんじゃないかと考えました。最後にもう1度だけ断っておきたいのは僕は「はいふり」も「刀使ノ巫女」も大好きだということです。そしていまの自分の思いとしては、「刀使ノ巫女」のような2クールアニメをまた見れたらなと思っています。
 
P.S.「とじとも」と「はいふり」のコラボ待ってます

*1:実際の企画自体はそんな単純な発想に基づいているわけじゃないでしょうが

*2:厳密には両者ともそんな大層な扱いにはなってないけれど

*3:はいふりにおける「赤道祭」回に対する評価をみてもわかるように

*4:この表現が適切かは僕自身わかってない

*5:最終的には救うという方向性だったと言えますが

*6:はいふりの場合はそれでも十分だったというのはある