Liella!メンバーについてじっくり考えたい「平安名すみれ・嵐千砂都・葉月恋」編

みなさん、こんにちは。

Liella!の3rdライブツアーも3/4,5のベルーナドーム公演で無事に千秋楽を迎え、1月から続いていた「ほぼ毎週ライブに行く」という状態がようやく落ち着いたので(まだ3/18のQU4RTZがありますが)、色々振り返るにはちょうどいいタイミングに入ってきました。

というわけで今回は『Liella!メンバーについてじっくり考えたい』シリーズの第2弾です。前回の記事はこちら↓

Liella!メンバーについてじっくり考えたい「澁谷かのん・唐可可」編 - よしのきららのブログ

 

第2弾となる今回は平安名すみれ・嵐千砂都・葉月恋編です。

 

目次のようなもの

・澁谷かのん〜「才能」「挫折」にフォーカスした人物像〜

・唐可可〜可可にとってのLiella!〜

 

↓↓↓今回はここから

・平安名すみれ〜"グソクムシ"が主役に変わるまでの軌跡〜

・嵐千砂都〜対人関係の独特なバランス感覚〜

・葉月恋〜信念を曲げない強さと純粋さ〜

↑↑↑今回はここまで

 

・桜小路きな子〜Liella!にきな子がいることの意味〜

・米女メイ〜"ファン"だったからこそのスタンス〜

・若菜四季〜四季の秘めたるポテンシャル〜

・鬼塚夏美〜人間としての夏美の強さ〜

 

 

  • 平安名すみれ〜"グソクムシ"が主役に変わるまでの軌跡〜

"クーカー"に次ぐLiella!の3人目のメンバーであり、ジョーカー的な存在としてLiella!の新たな魅力を引き出している平安名すみれ。彼女は幼い頃からショウビズの世界で活動を続けており、加入当初から高い実力を持った存在として描かれています。一方で3人体制となったLiella!でセンターを決めようと学内で投票を行った際にはまさかの0票と、すみれに関してはかのんのような「華」(これも一種の才能だと思います)のある存在では決してなかったということです。つまり、「確かな実力はあるけどどこか地味でパッとしない」というのがラブライブ!スーパースター!!の物語における平安名すみれの出発点であると言えます。

「主役」を目指して実力をずっと磨いてきたすみれでしたが、一向に自分のところにスポットライトが当たる気配はなく徐々に心が折られていったというのは、かつてのすみれが原宿の街中でただスカウトに声を掛けられるのを待つだけという消極的なやり方でしか何かを掴もうとできていなかったことからもある程度推し量ることができます。正直、1期4話までのすみれに関する個人的な認識としては、「がむしゃらに夢にしがみつこうとする諦めの悪い子」というよりも「内心ではほぼ諦めかけてしまっている夢を惰性で見続けているだけの子」という感じで、だからこそ彼女がLiella!に入り可可やかのんとの関わりの中で変わっていくことに強い意味を見出すことができるとも感じています。

すみれにとっての変化の一番最初のきっかけはやはり澁谷かのんが直々に自らを「スカウト」に来たところでしょう。結局ショウビズの世界にいた時同様スクールアイドルとしても「主役」に選ばれなかった現実に直面して、やっぱり自分には無理だと諦めようとしていたすみれに対して発せられた「奪いに来てよ」というかのんのセリフは、すみれに「諦めるにはまだ早い」と思わせるのに十分なものだったと言えます。ようするに、すみれはかのんからの「スカウト」によって完全に諦めようとしていたところから一歩踏みとどまったということです。ただ、逆にいえば「諦める」という後退をしなかっただけで、かのんのセリフによって明確に前進をしたとまでは言えないというのもここでのポイントになってきます。

「挫折を知る天才」である澁谷かのんは「諦めないこと=後退しないこと」の大切さを説くのは適任といえますが、彼女の言葉によって前進できるかどうかまではその人次第によるところが大きいということです。なぜならかのん自身は才能があるため、「後退さえしなければ前進は割とすぐにできてしまう」という性質を持っているからで、ここは「華」という才能に恵まれなかったすみれとはやや相性が良くないポイントと言えます。つまり、すみれの前進にはかのんによるアプローチではない「あともう一押し」が必要で、それがここから掘り下げていく内容になります。

1期4話の最後でスクールアイドル部に加入したすみれにとっての初ステージは6話での『常夏☆サンシャイン』であり、この曲は千砂都の加入エピソードに連なることからかのんと千砂都の2名に主にスポットライトが当たる構成の楽曲になっています。次の8話での『Wish Song』は恋の加入に連なる楽曲としてかのんと恋がメインの構成となっており、いずれの曲にしてもすみれの役割はメイン2人を歌とダンスで支える「名脇役」のようなポジションだと考えられます。実際、ライブでの『常夏』の曲中にある、サニパの振り付けを意識したと思われる千砂都(岬なこ)とすみれ(ペイトン尚未)による足をくぐらせる振り付けは、すみれのダンス技術と適応能力の高さを感じさせるものですが、Liella!加入当初のすみれの役割はこうした「主役(ここでの場合は千砂都)を立たせるチームプレイ」であり、本人がなりたいと言っている「主役」そのものではありませんでした。そうした中ですみれが元来培ってきた「適応能力の高さ」「できることの種類の多さ」にスポットライトが当たりそうな流れがやってきます。それが1期10話の『ノンフィクション!!』に連なっていくエピソードになります。

それまでのLiella!においてのすみれの活動方針は「今まで培ってきたことを活かしながら自分にできることをする」「いつかは主役・センターになることを諦めないでいる」というもので、原宿でスカウト待ちをしていただけの頃から「スクールアイドル活動をする」という具体的な行動に出た点では一歩前進していたものの、どこか「今のままでも居場所があるならそれでいい」というような考えになっていた部分があったのだと思います。そうした中で突如として現れた「センターになれるチャンス」が1期10話での「ラップを取り入れた楽曲にする」というラブライブの予選のテーマであり、思ってもみなかったチャンスに重責を感じてしまい、尻込みをするすみれの様子が描かれていたわけです。結局すみれは「主役になりたい」といつ夢を諦めないようにはなったものの、実際に主役になるための覚悟まではできておらず、そこまで変われていなかったということになります。

ここまで書けばこの後僕が何を言いたいかわかる人も多いとは思いますが、そんなすみれを変えたのが唐可可の「誰に対しても真っ直ぐに、嘘をつかずに思いを伝えられる」という性質であり、その忌憚のない言葉であり、スクールアイドルに真剣な姿勢だったということです。他の誰よりもスクールアイドルやラブライブに真剣で、決して嘘はつかずに良いところも悪いところもはっきり伝える可可が「センターにはすみれが相応しい」と言ったことの意味は、すみれにとってあまりにも大きすぎるものだったと思います。可可やかのんと出会うよりもずっと前から主役に憧れて、主役になるための努力を積み重ねてきたすみれにとって「センターを務めること」は非常に重い意味を持っていることは容易に想像できます。そしてそんな大役に同情や消去法で選ばれたくはなかったという一種の「わがまま」な気持ちも見せていたすみれに覚悟を決めさせられるのは、同情や消去法でセンターを選ぶということを絶対にしない可可だけだったと言えるでしょう。

こうして"グソクムシ"(=名脇役、縁の下の力持ち的なポジション)から主役へと進歩を遂げたすみれは、可可への感情の矢印を大きくしていくことになります。1期10話で、可可がスクールアイドルとして結果を残せなければ帰国しなければいけないという事情を抱えていることを知り、「自分を主役へと変えてくれた可可を帰国させるわけにはいかない」と思うようになったすみれは2期の中では誰よりも結果にこだわっていた(焦っていた)ように見えました。そのことの表れなのかはわかりませんが、2期に入ってのすみれは「1人だけ違う方向を向いている」「1人だけ違う場所(ex.机を挟んだ反対側)にいる」といったシーンが目立つようになります。これは正直自分でも深読みな気もしますが、『Go!! リスタート』が披露され終わって6人で肩を寄せ合うシーンですみれ1人だけが笑顔になっていなかったところなんかは印象的です。一方の可可は「スクールアイドル活動が辛いものではあってはならない」という思いが強く、2期を通してLiella!全体としてもそちらの方向性で進んでいくことになるため、すみれのポジションがどこか異質なように感じられるというのはあったかもしれません。可可が2期になってからも(1期の時以上に)すみれに対して辛辣な態度が目立つようになったのは、2人のスクールアイドル活動へのスタンス、もっと言えば「スクールアイドル観」のようなもののズレが大きくなっていたことの表れと考えれば個人的には納得がいきましたし、2期9話はそのズレを敢えて一度決定的なものにした上で、その後ろ側にある「本音」の部分をぶつけ合うエピソードとして東京大会前のあのタイミングでやることに意味を持たせていたと思います。すみれにとって可可は自分を"グソクムシ"からずっとなりたかった主役へと変えてくれた最大の恩人であり、可可から見たすみれはスクールアイドルをやりたかった自分にとって足りなかった部分をその適応力の高さで色々と補ってくれたという意味でやはり必要な存在だというのが2期まで観た上での個人的なクゥすみ解釈です。

 

 

  • 嵐千砂都〜対人関係の独特なバランス感覚〜

Liella!のダンスリーダーであり、2期からはスクールアイドル部の部長も務めている嵐千砂都。ダンスの実力は非常に高く、1期6話ではダンス大会で優勝*1も果たすなど物語の序盤の時点でかなり秀でた存在として描かれています。そんな千砂都ですが、幼い頃は気も弱くいじめられっ子だったという過去もあり、その時かのんに救われたことがきっかけでかのんの隣に並び立てる存在になりたいと思ったことが、千砂都にとってのすべての始まりであると言えます。そのため、千砂都の考えの中心にあるのは澁谷かのんと自分との関係性の中で、お互いがどういうポジションにいるのか、ということだと感じます。千砂都の行動を読み込んでいく上ではこの前提を抑えておく必要があります。

千砂都に関しては、個人的にスーパースターの登場人物の中でも異質というか、かなり理解するのが難しいタイプの人間だと思っているのですが、一方で決して支離滅裂だったり人格的に破綻していたりということは決してなく、きちんと理屈で動いている人間であるという話をここではしていくつもりです。まず、はじめに千砂都はかのんに対して「歌えるようになること」を決して強要はしなかったという点です。人前で歌を歌えなくなっていたかのんに対して歌を歌わせるように動いたのは前回のかのん編・可可編でも述べたように可可であり、可可自身もあくまで「かのんと歌うことは自分にとっての夢」というスタンスでした。千砂都は幼馴染としてかのんとの交流は続けており、「歌えないかのんには価値がない」というような理想の押し付けはせず、ただ可可とかのんの動向を見守るというポジションにいました。一方で自分自身については異常なほどにストイックであり「ダンスで役に立たなければかのんと隣にいる資格はない」との考えで、大会で優勝できなかった場合は退学して海外に留学しようともしており、千砂都のかのんに対しての感情の重さを窺い知ることができます。ここまで見てきて言えることとしては、千砂都はかのんに対しては押し付けではなく絶大な信頼に基づいてあくまで見守るスタンスを取りながら、自分自身はそのかのんに並び立てるような存在になるべく研鑽を続けているということです。

ようするに千砂都にとってのかのんは「このくらいのポジションまでは到達していくだろう」という非常に大きな信頼と期待があって、その上で自分も同じ高みに登ろうとするのであり、「自分と同じ高みまで登ってこい」というような「自分に厳しく相手にも厳しい」スタンスとは若干異なるのだと感じます。そんな千砂都が、かのんに対して「こうあってほしい」という理想をぶつけたエピソードの1つが1期11話の内容です。千砂都自身が特別に働きかけることなくLiella!として人前で歌えるようになったかのんに対して、「みんながいなくても歌えるようになること」を求めるわけですが、これはLiella!であり続ける以上は「そうする必要のないこと」であり、逆に言えば千砂都がそれを求めない限りかのんがそれをする状況というのが生まれなかった類のものでした。つまり、千砂都から見てかのんは基本的に自力で状況を打開できる人物ではあるものの、置かれている環境的にそれが難しい時は自分が介入するということなんだと解釈できます。あるいは、澁谷かのんという人物は置かれている環境の部分さえクリアしてしまえばあとは自分が想定するくらいの高みにはあっという間に登って行ってしまう人物なんだと千砂都は考えているということなのかもしれません。いずれにしても千砂都はかのんに対して絶大かつ強力な信頼を寄せているということです。

この千砂都の「相手に何かを求めていくというよりは、自分がまず変わってみる」という対人関係の構築スタイルが対Liella!において活かされることとなったエピソードが2期4話における部長への就任です。「自分にはスクールアイドルは向いてないから」と本当はやりたい気持ちに蓋をしてスクールアイドル部への入部を拒んでいたメイを見て、彼女自身や彼女をスクールアイドル部に入部させたいと考えている他のメンバーに直接働きかけるのではなく、まずは自分自身が向いてないと思っていた部長に就任することで、周囲にも考えを波及させていく展開となっています。さらに部長としての嵐千砂都を掘り下げていくと、かのんには出来ないシビアな選択をできるというのも強みだと言えます。かのんに関しては前回のかのんの項でも述べたように「1人も取りこぼしたくない」というところが行動原理としてあり、これは彼女の人間的な魅力の部分に直結している一方で、たとえそれが必要な場面であっても「取捨選択」をできないということになります。そういう意味で千砂都は(部長就任前ですが)新入生の勧誘の問題や実力差の問題などの時に「何を取って、何を取らない(犠牲にする)のか」を踏まえた判断ができる人物として描かれており、かのんではなく千砂都が部長になったことにしっかりと意味を見出すことができます。

Liella!のメンバーの個々に対して、直接「こうしてほしい」「こうあってほしい」ということを伝える場面は僅かであり、基本的には「まず自分はこうだから」というのを示した上で相手に選択肢を与えるような千砂都の動きは、結果的に1年生が自らの意思で2年生に並び立とうとしたり、かのんにとっての「本当の歌」が何なのか気づくきっかけになっていたりと、スーパースターのストーリー展開の中でしっかり意味を持ったものになっていたと感じられます。この千砂都の対人関係における独特なバランス感覚については、ストーリー上で非常に重要なポイントでありながら紐解いていくとかなり複雑に感じられる部分でもあり、スーパースターの作劇の中でも賛否の分かれやすいところなのでしょう。

 

 

  • 葉月恋〜信念を曲げない強さと純粋さ〜

成績優秀で運動神経も良く、生徒会長として新設校である結ヶ丘の生徒をまとめる役割も担うLiella!のエースこと葉月恋。ラブライブ!シリーズではもはやお馴染みの「最初はスクールアイドル活動に反対する生徒会長」のポジションであり、物語の序盤ではかのんや可可に対立する人物として描かれていきます。このポジション自体はお約束であるため、そこに関しては特段何かを言及はしませんが、ただ序盤の恋に関しては「とにかくスクールアイドルだけはやめてほしい」という強烈さがあり*2、「なぜそんなにもスクールアイドルばかりを敵視するのか」「どうやって和解してメンバー入りを果たすのか」注目をして見ていました。

恋に関しては加入が描かれる8話になるまではほとんどまともな掘り下げはされていなかったため、8話でようやく性格や考え方の部分が見えるようになったのですが、まずは何と言っても「思い込みの強さ」がかなり激しい人物であることがわかります。基本的にラブライブ!シリーズは「根っからの悪意を持って行動する人物」は描かないため、恋に関してもかのんや可可に嫌がらせをしてやろうというような悪意に基づく行動でないことは元々ある程度想像できたわけですが、そうした悪意が無くスクールアイドルだけをやたらと敵視する理由づけとしてはこの「思い込みの強さ」というのは妥当なところだと感じます。思い込みが強いだけであるため、その思い込みの内容さえ正してしまえば和解にもそんなに時間がかからないわけで、その点を踏まえると8話の展開も十分納得のいくものでした*3。そして1期において恋の掘り下げが進んだポイントとしてはあの「禁断のセカイ」のシーンがありますが、ここでも理事長からの呼び出しについてサイトを開いてしまった自分への叱責だと思い込んでしまうところが描かれており、ここでLiella!加入後の恋が加入前(8話より前)の恋としっかり地続きであると示していたのは個人的に評価したいポイントでもあります。

結局、1期に関しての恋はこの「思い込みの強さ」が一番大きなポイントとして描かれており、その背景にある真面目さや純粋さを強調するようなシーンが少なかったと感じるのは事実であり*4、先日の3rdライブ千秋楽での青山なぎさのMCはそうした部分も踏まえていたのだと思いました。ただ、葉月恋の真面目さや純粋さというのは1期の頃からずっと描かれた部分でもあり、それが2期においてはポジティブな方向で掘り下げられていったというのもまた事実です。今回はそうした部分についても自分なりに深掘りしていこうと思っています。

まず、恋は物語開始の時点で既に母親を亡くしており、母親の遺した学校でもある結ヶ丘をより良い学校にしたいという強い決意を持った人物として登場してきます。そしてこういう話は本来あまりすべきではないのでしょうが、高校1年生の少女が母親を亡くし、父親もほとんど家にはいないという状態で、母親の遺した学校で生徒会長としての責務を果たそうとする中で、どれだけ正常な判断力を維持できるのかという視点もあります。その中で見れば1期の時点でも恋の行動はそこまでおかしいと言えるものでもなく、致し方ないといえる部分が大半だったのは事実です。恋のスクールアイドルや普通科に対する仕打ちもやられた方はたまったものではなかったでしょうが、それでも「そうしてしまうだけの何か」は恋の中にはありましたし、それは決して「思い込みの強さ」というだけではなく、恋の元来持つ信念の強さや真面目さの表れだったとも取れます。文化祭を音楽科主導でやると言い出したのも、非難を受けるのは覚悟の上でそれでも「学校の状況をなんとか良くしたい」という思いの強さゆえの行動であったことはあえて説明するまでもないと思います。

結局1期の恋というのは、そうした信念の強さや純粋さ、真面目さといった恋元来の人間性が悪い方向性で現れてしまったということでしかなく、それは2期での恋を見て行けば十分に理解できるところでしょう。実際、2期に入り2年生となった恋はLiella!という仲間ができたことで表情もすっかり柔らかくなり、スクールアイドル活動を楽しめている様子が描かれています。その中で、例えば2話では「この学校にスクールアイドルを根付かせたい」と真っ直ぐな思いを伝えるなど、従来の信念の強さも要所要所で覗かせており、存在感を発揮します。また、生徒会長としての責務も依然として全うしており、責任感の強さも垣間見せるなど、人物的な魅力の掘り下げが進みます。このように従来の人間性が良いサイクルで回り始めた時の恋は非の打ち所がない優等生であり、いろんな人から慕われる存在であることがわかります。

一方で今度は逆に欠点がなく親しみを覚えづらいという点が指摘できるようになります*5。特に1年生からすればすみれや可可のような弱みが見えやすい存在の方がとっつきやすく、恋のような存在に対してはどうしても精神的に距離を感じてしまうものなのだと思います。だからこそ7話の「UR 葉月恋」はやはり葉月恋という人物を掘り下げる中での最後のピースとして必要な回だったと思いますし、実際あのエピソードがあったことで特にメイなんかは恋との距離を大幅に縮めることに成功しています。真面目で責任感の強い恋がゲームという趣味を見つけられたという点でも良いエピソードだと感じますし、純粋だからこそゲームを心から楽しめてるのも恋の掘り下げとしては非常に説得力があります。そして何よりあの回の恋は視聴者目線でも「かわいい」ということです。葉月恋の魅力をかなりストレートに描いていますし、それまでの恋に関する描写の積み重ねがあったからこそ、ただ恋がゲーム廃人になっておしまいということではなく、魅力の掘り下げに繋げられている点もアニメのエピソードとして見事です。

*1:2022年5月に刊行されたLiella! SPECIALによると優勝したのは全国大会

*2:歴代の同じようなポジションのメンバーだと、スクールアイドルというよりも「無意味な活動はやめてほしい」というスタンスであることが多く、その中にスクールアイドル活動も含まれているというニュアンスが強かった

*3:今となっては。当時はイマイチ恋の人物像がわからずに展開を唐突だと感じてしまっていた

*4:無かったというわけではないし、当時から恋のそういった魅力について語る声も出ていた

*5:欠点がないという話は1期の頃からしていた