虹ヶ咲5thライブについて感じたことを
みなさん、こんにちは。
昨夜放送されたスーパースターの2期最終回の余韻が(いろんな意味で)凄いですが、逆に頭を整理するのにちょうどいいタイミングと思ったので、先月の10日、11日に東京ガーデンシアターで、17日、18日には武蔵野の森総合スポーツプラザで行われたラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会5thライブ『虹が咲く場所』についてこの1ヶ月間くらいで考えていたことを書き出していこうと思います。
- ライブ内容についての雑感
個々のキャストのパフォーマンスについてはライブ直後にツイートしたのであまり触れませんが、今回のライブは(いろんな人が言っていますが)1つの「節目」と感じるような内容だったと思います。実は今までの虹ヶ咲のライブは、毎回出演者の顔ぶれがちょっとずつ違っていて、「アニメ1期コンセプトだから栞子はお休み」とか「ゲームコンセプトだから侑は不在」とかで、スクスタもアニメも含めた「虹ヶ咲」という大きなくくりで見たときに「全員揃ったことがなかった」んですよね。ここで初めて13人揃ってのライブができた。スクスタとアニメが「12人+1人の同好会」のストーリーとして合流し*1、ある意味ではそのどちらの要素も含めたようなライブだったと感じています。
スクスタ、アニメ、その他の媒体も含めた「虹ヶ咲」というシリーズとしての1つの到達点がこの5thライブにある、個人的にはそのように見ています。
- ある意味では「原点回帰」
この点に関していうと、やはりずっと個人的には感じていた「1stライブが至高だった」、裏返して言えば2nd〜4thライブに対して感じていた「物足りなさ」「寂しさ」のような感情とようやく(完全にとは行かないまでも)決別できそうな感じもしています。1stライブは9人と「あなた」の同好会のライブで、当時の虹ヶ咲においてはこれが「完全体」でした。
ところが2ndライブでは10人と「あなた」の同好会のライブでしたが新型コロナの影響で会場は無観客、つまり「あなた」がいない状態でのライブに、3rdライブではアニメ1期に出てきた9人と侑はいましたが、アニメで出番のなかった栞子は出演がかなわず、4thライブでは12人と「あなた」のライブで今度は侑がいない形となりました*2。
このような感じで、虹ヶ咲のライブでは毎回どこかしらに「あの子はいないんだ…」というような引っかかりがあったことも事実で、ライブの内容自体はたしかに楽しいのですが、純粋な気持ちで楽しみきれない自分がいたというのも否定できません。
5thは出演者の欄にキャラクターとキャストの個別名が記載されておらず、さらに楠木さんのこともあってか、ライブが始まる前までは「本当に純粋な気持ちでライブを楽しめるのだろうか」という不安がかなり大きくなっていました。しかし、ライブの1曲目である『Colorful Dreams! Colorful Smiles!』が始まり、ちゃんと「12人」でステージに立っているところ、さらには要所要所で侑役の矢野さんが登壇して会場のファンを前に見せ場を作っていたところを見て、「ああ、この景色がずっと見たかったんだなあ…」と感慨深くなっていました。
ようするに、1stライブの時と同じく「完全体」の同好会を見られたことへの嬉しさだったり感動だったりで、自分にとっては「当時の純粋に楽しんでいた気持ちを取り返した」という意味での「原点回帰」となりました。
- 5thライブと「アニガサキ」と「スクスタ」
5thライブに関しては侑役の矢野さんの出演があったり、そもそもアニガサキの2期放送後で初のナンバリングライブということもあり、「アニガサキのライブ」という見方が一般的だと思います。実際に、セトリとしても前半パートは完全にアニメ2期の流れに沿っており、アンコールパートでもアニメ曲のカップリング曲が多く披露されたりと、「アニガサキのライブ」としての色が強いものになっています。
個人的にはそうした見方も基本的には間違っていないとは思いますが、一方でこのライブ内容をもって「アニガサキこそ虹ヶ咲における"正史"の作品だ」という見方をするのはかなり行き過ぎているとも感じます。
まずはガーデンシアター公演で『繚乱!ビクトリーロード』の直後に披露され、繚乱で温まった会場のボルテージをさらに高めていったR3BIRTHの『MONSTER GIRLS』はスクスタ発の楽曲ですし(そもそもアニガサキではまだR3BIRTHはパフォーマンスしてない)、武蔵野の森公演でこれまでの虹ヶ咲のシリーズとしての歩みを振り返った映像の後に披露された『永遠の一瞬』は7月末にスクスタのストーリーで出てきたばかりの楽曲です。こうした楽曲たちをしっかりと外さずに披露してきたことは「スクスタも虹ヶ咲においては重要な存在」ということを示しているとも言えますし、そもそもこれまでの虹ヶ咲の積み重ねてきた歴史においてスクスタの占めるウエイトというのはとても大きいわけですから、5thはそうした歴史の部分にも向き合った内容のライブだったと感じられます。
- さいごに
5thライブに関しては、大元のコンセプトとなっているアニガサキの2期はもちろんのこと、それ以外のスクスタやキャストによるライブの積み重ねをかなり大切にしていた印象で、このタイミングでこういうライブをできたことが個人的にはとても良かったと思います。今のラブライブ界隈では、「アニガサキが至高でスクスタは駄作」とか、虹ヶ咲ではないですが「スーパースターの脚本が悪い」とか、そういう◯◯は良いけど◯◯はダメみたいな話をするオタクがすごく多い印象です。
それらは個人の意見なので、「批判をするな」「ダメと言うな」のようなことを言うつもりは一切ないですが、先月開催された5thライブに関しては「アニガサキもスクスタも大事な虹ヶ咲が積み重ねてきた歴史の1つなんだ」という意思を強く感じられるものでした。ここで個人的に言いたいのは、合う/合わないとか評価できる/できないみたいなのがあることは仕方ないですが、ひとつひとつの展開に対してきちんと向き合っていけば、今回の5thライブのようにシリーズ側もしっかりと応えてくれるということです。「期待していたのに裏切られた」となるオタクももちろんいるとは思いますが、信じてついていけばどこかで必ず良い景色を見せてくれる、虹ヶ咲の5thライブを通して僕自身はそんな確信を得ています。
「ラブライブ!シリーズ」への個人的解釈 〜「好きな理由」を語ることにオシマイなんてあるんですか!?〜
こんにちは。年末以来のブログ更新となります。
今回のブログ記事のタイトルは「ラブライブ!シリーズ」への個人的解釈です。かなりざっくりとしたテーマにはなりますが、この4月からはシリーズ史上初めて2クール連続で新作アニメが放送されるという事態が訪れるということもあり、その前に今一度自分の中の認識を整理・共有したいと思った*1ので、このような記事を書くことにしました。
普段はTwitterでこの辺りのことを語ってはいるものの、字数の制限がある中であれこれ言おうとするとやはりどうしてもとっ散らかった印象の文章になってしまうので、それなら思い切ってブログで書いてしまおうというくらいのテンション感の記事ですが、よろしければお付き合いください。(笑)
ここ最近の「ラブライブ!シリーズ」と自分
さて、まずは最近のラブライブ!シリーズの展開とそこに自分がどう向き合ってきたかについてです。
世の中的には2020年以降は新型コロナウイルスが猛威をふるったこともあり、その影響は2次元コンテンツにも色々と及びました。中にはコンテンツそのものの展開が頓挫してしまったようなものもあり*2、ラブライブ!シリーズにおいてもAqoursの6thライブのドームツアーを始めとした各種イベントが中止、または配信のみでの開催となるなど、ここ数年のコンテンツ展開は当初想定されていたものからは程遠いものになっていたと思います。
ただ、ラブライブ!に関しては比較的「イベントを開催しようとする」という動きの強いコンテンツであり*3、特に2021年の秋以降はサンシャイン‼︎、虹ヶ咲、スーパースター!!の各シリーズでコンスタントにライブイベントが開催されるなど、むしろコロナ前よりもシリーズ全体としての展開は活発になった印象です。
さらに、リアルイベントだけでなく2020年秋には虹ヶ咲のTVアニメ1期、2021年夏にはスーパースター‼︎のTVアニメ1期が放送され、アプリゲームの「スクスタ」でもメインストーリーの月1更新は2019年秋のアプリリース以降途切れることなく続いているなど、いわゆる「2次元」の展開も充実しています。
特筆すべきは、それまでのラブライブ!シリーズがどちらかというと1シリーズメインでの展開だったのに対し*4、今はAqours、虹ヶ咲、Liella!がそれぞれ活発に活動しているという点です。アイドルマスターシリーズがシンデレラガールズやミリオンライブ、シャイニーカラーズと並行して展開しているように、ラブライブ!シリーズも「世代交代」をするのではなく3つのシリーズが現役として「並行展開」するという形にシフトしていったといえます。
ただ、それまでが「世代交代」ありきだったということもあってか、「現役世代についてはとりあえず応援します」みたいなタイプのオタクも多く、3シリーズとも追っているような人もかなりいる印象です(僕もその1人です笑)。
こう書くと、「とりあえずラブライブと名のつくものだから思考停止で3作とも追ってるんじゃないの?」とも言われそうなのですが、個人的に決してそうではないと言いたいというのが今回の記事の主旨です。ちゃんと3作とも「ラブライブ!」らしくもあり、その上でそれぞれに違った良さも感じているからこそ、Aqoursも虹ヶ咲もLiella!も「大好き」になれたということです。
共通するキーワード
ここ1〜2ヶ月だけでもAqoursの6thライブや虹ヶ咲の4thライブ、Liella!の2ndライブがあり、それぞれのシリーズ(グループ)ごとに異なる持ち味を発揮したライブになっていたと思います。
Aqoursであればそれまでの強みだった「アニメとのシンクロ」の部分からさらに前に進んで自分たちが「シンクロ」の元となるような物語を作ろうとし、新たな「キセキ」を生み出そうとしています。虹ヶ咲であればソロでの表現力に加えて、ユニットや全員でのパフォーマンスを通じて各々の「好き」の気持ちを最大限尊重しているのが伝わってきます。Liella!であれば確かな実力と徐々についてきた自信に裏打ちされた力強いパフォーマンスで、「夢」を叶えようとすることの尊さを教えてくれます。
このようにシリーズ(グループ)ごとにそれぞれ強調したいテーマは若干違ってくるものの、ここであげたキーワードのどれもがラブライブ!シリーズにおいては非常に大切にされている概念であり、どのシリーズ(グループ)のライブに参加してもそうした部分は強く感じます。Liella!の1stライブツアーが10都市を繋ぐ「キセキ(軌跡)」の物語になっていたりとか、Aqoursのライブで「好き」の気持ちを持ち続けることの尊さを説いていたりとか、虹ヶ咲が12人でのドームライブという当初では考えられなかった「夢」のような今を見せていたりとか、それぞれのキーワードについてはどのシリーズにも共通する要素であるといえます。
Aqoursも虹ヶ咲もLiella!も、それぞれ得意とすることも「やりたい」の形もかなり異なっているのは事実です。ただそれでも、同じラブライブ!シリーズという括りの中でそれぞれを結ぶことのできるキーワードはあるという話です。「キセキ」も「好き」も「夢」もラブライブ!シリーズにおいてはどれもきわめて重要なキーワードであり、それぞれの作品を解釈する上でもこの辺りの単語が出発点になってくると思います。
「ラブライブ!らしさ」として考えられていたもの。μ'sの時代からAqoursの時代への変遷
2016年の3月31日と4月1日に行われたμ'sのファイナルライブの後、それ以降の「ラブライブ!シリーズ」としての展開の中心はAqoursが担っていくようになりました。それまでは「ラブライブ!」とはすなわちμ'sの物語のことであり、μ'sの物語を構成する要素こそが「ラブライブ!らしさ」となっていたわけですが、2代目であるAqoursの物語「ラブライブ!サンシャイン‼︎」の展開が進むにつれて、シリーズ作品としての「ラブライブ!らしさ」とはどのようなものかが考えられていきます*5。
さて、「ラブライブ!」と「ラブライブ!サンシャイン!!」のそれぞれのストーリーですが、「ラブライブ!」の方は主人公の高坂穂乃果を中心に「想い」を原動力として「行動」に変えていくことで、どこまでも進んでいってしまうというある意味神話的で無敵感のある作劇が特徴のストーリーといえます。一方で「ラブライブ!サンシャイン‼︎」は、「想い」を原動力として「行動」に変えていくところまでは同じでしたが、それでどこまでも進めるほど現実は甘くないという寓話的で無力感のある作劇が特徴といえます。
つまり、両者の大きな違いは「結果」の部分にあるということです。「ラブライブ!」ではμ'sは音乃木坂の廃校を阻止することに成功し、劇場版ではすべてのスクールアイドルに華々しい未来へのバトンを渡してその物語の幕を閉じます。対して「ラブライブ!サンシャイン‼︎」ではAqoursは浦の星の廃校を阻止することができず、劇場版でも地道に周りからの理解を得ようとする姿が描かれます。結局Aqoursはスクールアイドル活動を行ったところで、何かの事態を劇的に好転させるということはできなかったといえます。
ただ、そうした無力感の残る結果であったとしても、「想い」を実際に「行動」へと移したことそのものには間違いなく価値があったということに千歌たちが気づくというのが、サンシャイン‼︎でのストーリーの締めとなっています。ようするに、「ラブライブ!サンシャイン‼︎」によって抽出された「ラブライブ!らしさ」は「想い」を「行動」へと移すことの大切さであり、そこに結果が伴うか伴わないかは重要ではないという見方がここで確立することになります。
虹ヶ咲とLiella!におけるはっきりとした考え方の違い
2017年3月30日、ラブライブ!シリーズは新たな局面を迎えることになります。「ラブライブ!スクールアイドルフェスティバルPERFECT Dream Project」(通称PDP)が始動ということが公式によって告知されました。この「PDP」こそが後の「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」の展開に繋がってくるものであり、μ's→Aqoursで引き継がれていたラブライブ!シリーズにおいて「別の流れ」が生まれた瞬間でもあります。
ここから先、アプリゲームの「スクスタ」の情報やラブライブ!シリーズにおいては3つ目となるグループ*6の「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」のキャラクターやキャストの詳細なども発表されていくわけですが、どうやらこれまでの「ラブライブ!」や「ラブライブ!サンシャイン‼︎」とは大きく異なった形での展開になりそうということで、「ラブライブ!らしさ」があやふやになってしまうのではないかのような不安の声も囁かれるようになります。
具体的にはアニメとキャストによるリアルライブをコンテンツにおけるメインに位置付けたこれまでのラブライブ!の形*7ではなく、ゲームを中心にキャストも一般的な声優としての形でコンテンツに関わっていくという、他の大きめのメディアミックスプロジェクト*8に近いようなあり方を模索していたような印象もあり、この頃から少なくとも「コンテンツとしての展開のさせ方」の部分は「ラブライブ!らしさ」を担保するものではないという見方が徐々に強くなっていったと感じます。
また、それだけでなくいわゆる「中身」の部分でも、「ラブライブ!」から「ラブライブ!サンシャイン‼︎」に引き継がれたのとは別の要素が強調されるようになりました。虹ヶ咲においては、μ'sやAqoursと決定的に違う点としてメンバーがグループを結成せずにソロのスクールアイドルとして活動するという点があります。μ'sがμ'sとして、AqoursがAqoursとして活動してきたというその「経験」を大切にしているのに対し、虹ヶ咲は「経験」の手前にある「やりたい」という気持ちこそが最も重要視されるべきものであるというスタンスをとってきます。すなわち、実際に「行動」を起こしたとしてもそれが「想い」に基づいていなければ意味がないということであり、言い方を変えれば「行動を起こそうとする中にちゃんとその人の想いがあること」が「実際に行動したかどうか」以上に価値を置かれているわけです。
「想いを持つこと」はきっかけ、「行動に移すこと」は過程、「結果を出すこと」は到達点ともいうことができると思いますが、虹ヶ咲の場合きっかけを最重要なものとして捉えるので、「やりたいことをやる」という最初のところが肝心で、実際の行動や結果は「やっていくうちにそうなった」側面が強いとも言えます*9。きっかけはなんであれ実際にμ'sならμ'sで、AqoursならAqoursで活動をしていくということが価値のあることなんだという話になっていたそれまでの作品とは異なり、「きっかけ」そのものの大切さが主に描かれていたというのは虹ヶ咲が持つ「軸」の部分だと感じています。一方できっかけ、過程、到達点のどれもがラブライブ!シリーズの作品における欠かせないピースとして描写されていることもまた事実であり、その意味では虹ヶ咲も「ラブライブ!」や「ラブライブ!サンシャイン‼︎」から引き継いだ要素を持っているということです。
ここまでで、「ラブライブ!」の作品が持つ要素のうちきっかけの部分を主に引き継いでいるのが虹ヶ咲、過程の部分を主に引き継いでいるのがサンシャイン‼︎という話をしてきました。それでは、現時点での最新作であるスーパースター‼︎はどうなのかについてですが、残る要素である到達点の部分を主に引き継いでいる(引き継ごうとしている)というのが個人的な見解です。「やりたいことをやる」からには、「相応の結果が求められる」というのは、これまでの作品においてはあまり強調されてこなかった部分だと言えます。しかし一方で、「ラブライブ!」も「ラブライブ!サンシャイン‼︎」もそれぞれμ'sとAqoursが作中の大会である「ラブライブ」に優勝するというところは描かれており、「やってきたこと」の価値をわかりやすい結果としても示しているのは事実です。スーパースター‼︎のアプローチはそこが直接的になった形ともいうことができ、やはり「軸」としての新しさは感じられるものの、これもまた「ラブライブ!シリーズの1つの作品」なんだと思います。
きっかけ→過程→到達点という流れで見た時に、きっかけと到達点は直接結びつかない概念であり、それぞれを強調して描く虹ヶ咲とスーパースター‼︎については「明確に違う」というのを感じます。今まで述べてきたように、どちらも「ラブライブ!」という作品が元々持つ要素をそれぞれ引き継いだ形であり、どちらがより「ラブライブ!らしさ」を感じられるのかという話をするつもりはありません。しかし、たしかに同じ「ラブライブ!シリーズの作品」でありながら明確に異なる思想の両者がそれも同時期に活発な展開を見せているという現状はなかなか面白いと言えます。今からしていくのはその辺りの話になります。
ショウ・ランジュのあり方とLiella!における「才能」の描き方
虹ヶ咲においてはなにかをやりたいという「きっかけ」としての気持ちの部分が尊重され、スーパースター‼︎においてはなにかをできるようになるという「到達点」としての結果の部分が重視されるということを述べてきました。虹ヶ咲に関しては、多様性という点についてもこれまでの作品と比べてもより強く尊重されるようになり、気持ちがどこに向かっているのかもそうですが、それぞれの「できる/できない」も一種の個性として受け入れられているような印象を受けます。一方でスーパースター‼︎は「できる」ということが強く求められるような描写が度々あり、「できない」のであればそれは個性として受け入れるよりも「できる」ように変えていくべきだとしています。
虹ヶ咲においても、「できない」から「できる」へ変えていくことに重きを置いた取り組みがありました。スクスタの2ndシーズンでランジュが立ち上げた「スクールアイドル部」は、プロの指導をつけるなどして各々が「できない」を「できる」へと変えていき、純粋なレベルアップを図るというやり方を見せます。個人的な意見になりますが、僕はこのランジュが持ち込んだ「やり方」自体は誤っているものではなく、きちんと価値のあるものだと考えています。ランジュが良くなかったのは「それが絶対的な正解である」と思い込み、違うやり方を採用していた同好会に対して自分のやり方を押し付けようとした点だと思います。そして、この部分に対する1つのアンサーとなったと感じているのがLiella!の存在です。
スーパースター‼︎において、Liella!の位置付けは「才能は持っているが、なんらかの理由によってその(本来発揮すべき)才能を発揮できていない人たち」というあたりだと言えます。「才能がある」というのは言ってしまえば一種の宿命のようなもので、ランジュにしてもLiella!の面々にしても「才能がある」わけだから、その才能を発揮できるようにするのはある意味「責任を果たす」というようなことでもあります*10。基本的に才能があっても無くてもその人のやりたいことをやれるのが良いと考えるのがラブライブ!シリーズの根底にある考え方なわけですが、その場合「才能が無い人」は「才能がある人」よりもシンプルに不利という構図が生まれてしまいます。そのため、才能がある以上はそれに見合った結果を出せるようにするべきだとすることで、その人にとっての「やりたいことをやれる」という価値と才能の有無とで均衡を保たせる必要があるわけです(あくまで個人的な見解です)。
結局、ランジュは「特別」で「才能がある」という存在なわけですが、それゆえにパフォーマンスのクオリティ的な部分に関してはかなり強く拘っている様子が見受けられます。個人的には、このこと自体はランジュの「良さ」であり、虹ヶ咲(スクスタ)の作品内においてもランジュの「個性」として受け入れられた部分だと思っています。スーパースター‼︎は、よりランジュ的な「高いレベルにこだわる」というのを真正面からやろうとしている作品なので*11、いよいよラブライブ!シリーズも「普通」の女の子たちを描く作品から、元々「特別」な女の子たちも描く作品に昇華して行ってる*12というのを感じるところでもあります。
唐可可の果たす役割と虹ヶ咲によって補強されるラブライブ!シリーズの価値観
「到達点」に重きを置いているというスーパースター‼︎の作劇の話から、「結果を出す」ための要素として才能にフィーチャーしてランジュとLiella!について語ってきましたが、今度は「きっかけ」に重きを置く虹ヶ咲の作劇とLiella!における唐可可の立ち位置についての話をしていきたいと思います。「きっかけ」とはすなわち始まりであり、それがなければ物語が動き出さないという意味で非常に大切なものだと言えます。ラブライブ!シリーズにおいてもμ'sであれば穂乃果が、Aqoursであれば千歌が秋葉原のUTX高校*13のビジョンに映し出されるスクールアイドルの映像を見たことで、自身もスクールアイドルを始めたいと思ったことが物語を動かすきっかけになっていました。
虹ヶ咲においては、これまでに述べてきた通り「きっかけ」の部分を非常に大切にしたアプローチでの作劇がなされており、各々が自分の「やりたい」という始まりの気持ちを尊重するためにソロでスクールアイドル活動を行うという様子が描かれます。スーパースター‼︎はそこに関していうと、「きっかけ」というよりは「到達点」の方を強く意識したアプローチの作劇になっていると言えるので、虹ヶ咲におけるソロ活動のような「きっかけ」ありきの「過程」や「到達点」が描かれているような感じではありません。ただ、その中で可可は自分自身にとってもそうですが、周りにも「きっかけ」を与える存在としての役割を担っていると言えます。「やりたい」という原初の気持ちを誰よりも尊重し、そのためにいち早く行動し、体力面での課題もあった中で猛特訓して「できる」ことを増やしていく、まさに「ラブライブ!」のシリーズ作品において培ってきた価値観を体現しているようなキャラクターです。
虹ヶ咲によって原初の「やりたい」という気持ちを大切にするという作品としての価値観を補強し、シリーズ全体の価値観を体現しているような可可が「きっかけ」を与える役割を果たすというのは、ラブライブ!シリーズがそれほど「きっかけ」の部分を大切にしているという証左であるとも感じます。また、こうした価値観は作中において語られるというだけではなく、我々ファンの側にも訴えてきているような内容だと言えます。10年以上続くシリーズであり、メディア展開も多岐にわたることからもシリーズを好きになる「きっかけ」は人それぞれなわけですが、そのどれもが大切なものであり、お互いに尊重されるべきです。そうしたメッセージ性をシリーズ全体として内包していることも、僕が個人的にラブライブ!シリーズに惹かれていった大きな理由の1つであると思っています。
結局自分は「ラブライブ!シリーズ」の何に惹かれているのか
ここまで長々と語ってきましたが、今のラブライブ!シリーズはつまるところ「価値観が多様である」ということだと思っています。シリーズとしての「核」となるような部分はありつつも、サンシャイン‼︎、虹ヶ咲、スーパースター‼︎とシリーズ展開されていく中でさまざまな価値観が取り上げられて、時にはそうした価値観同士で衝突が起こることもあったと感じます*14。そのため、「ラブライブ!は良かったけどラブライブ!サンシャイン‼︎は受け入れられなかった」とか、「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会には惹かれたけど他はあまり…」とか、そうした感想を抱く人が出てくるのは不思議なことではありませんし、それらをいちいちあげつらう必要もないと思っています。
ただ、個人的には「ラブライブ!」も「ラブライブ!サンシャイン‼︎」も「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」も「ラブライブ!スーパースター‼︎」も好きだというのは声高に言っていきたいですし、きちんと自分の中でも理由は持っているつもりです。それは今回語ってきたように、多様な価値観を内包しつつも「きっかけ」としてのその人自身の気持ちの部分を大切に扱った上で、「過程」として実際に行動へと移すことの重要さを描き、その先の「到達点」としてなにかをできるようになったり成し遂げだりすることで「きっかけ」や「過程」の価値をより強固なものにするというラブライブ!シリーズに共通する基本的な作劇のあり方が、物語に確実な意味を与えてくれるからで、そういった物語から我々受け手は大きなパワーを感じ取ることができるのです。
さて、ラブライブ!シリーズでは現在「ラブライブ!サンシャイン‼︎」、「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」、「ラブライブ!スーパースター‼︎」の3シリーズでライブの開催やアニメの放送といった大きめの展開が続いています。今年の秋からはバーチャルスクールアイドル*15の展開もスタートするということで、さらにラブライブ!シリーズ全体として多様性のある展開がなされていくことになりそうです。ただ、ラブライブ!シリーズが持っている「軸」のようなものがある限り、個人的には不安よりも期待を大きくして今後の展開を待ちたいですし、いつか自分がラブライブ!シリーズと距離を置くことになったとしても「ラブライブ!シリーズを好きでいられたこの時間」はずっと大切にしていこうと思います。
最初に「Twitterとかで書くと文章がとっ散らかるからブログで書くことにした」みたいなことを言っていた割に、結局ブログになってもまとまりがちゃんとある文章なのか自信はないですが(汗)、ここまで読んでくださった方がもしいればありがとうございました。この文章を読んで何か少しでも感じ取っていただけたら幸いです。
それでは。
*1:本当であれば虹ヶ咲の2期放送開始前に投稿を間に合わせたかった…
*2:それこそ矢野妃菜喜、ペイトン尚未らがキャストとして参加していたバトンリレーなどが具体例としてあげられる
*3:2021年5月に開催予定だったAqoursのつま恋ライブが中止になって以降、新型コロナウイルスを理由としたイベントの中止事例はない
*4:2016年でμ'sの活動が一区切りとなり、その後はAqoursがラブライブ!シリーズの「顔」として活動することになった
*5:もっとも僕自身としては当時はラブライブにハマる前で、界隈の雰囲気についても外から見た印象や伝聞情報で語っている部分がある
*6:厳密にはグループではない。あぐぽんもそう言ってる
*7:そもそもプロジェクトを立ち上げたうちの1社がアニメ制作会社のサンライズであるため、アニメを中心にするのは必然ではあった
*9:虹ヶ咲のアニメ1期においては、終盤の10話で初めてスクフェスの開催という具体的な目標が生まれた
*10:これはあくまでも才能があることとやりたいことの内容が一致している場合。やりたいことではないが、才能があるからやるべきとするのは考えを改める前の栞子的な適性主義と同じになる
*11:これはストーリー上の展開についてもそうだが、実際のライブに関しても同様の印象を受ける
*12:ここでの「普通」「特別」というのは主に自己認識についての部分
*14:スクスタ2ndシーズンはその辺りを結構踏み込んで描いた内容と言える
*15:シリーズタイトルを含めた具体的な詳細は現時点では不明
2021年にリリースされたラブライブ!楽曲の中から10選を決める
久々(ほぼ1年ぶり)のブログ更新。
さて、今回の記事のテーマは「2021年にリリースされたラブライブ!楽曲の中から10選を決める」になります。なぜこのような記事を書こうと思ったかですが、ラブライブ!シリーズでは今年だけで90曲もの新規楽曲がリリースされており、「それだけ曲数あるなら10選やったら面白いんじゃね?」と思ったからです。(単純)
ちなみに「2021年にリリースされたラブライブ!楽曲」の定義ですが、
・2021年発売のCDに新規収録された楽曲
・2021年発売のBDの特典として新規収録された楽曲
・2021年に最終巻が発売されるBDの全巻購入特典として新規収録された楽曲
・2021年に何らかの方法によって入手可能となったCDに新規収録された楽曲
以上になります。例えば「夢がここからはじまるよ」「Queendom」のようにアニメやゲーム等では2020年時点で登場していた楽曲であっても、それが収録されたCDが今年初めて発売となったものは「2021年にリリースされた」扱いです。逆に「P.S.の向こう側」「冒険Type A, B, C!!」のように市販のCDとして販売されたのは今年が初めてであっても、2020年以前に何らかの特典などの形で入手可能となっていたものについては「2021年にリリースされた」扱いとはしません。
それでは、早速10選の方に移っていきたいと思います。
- 夢がここからはじまるよ
「アニガサキ」から1期のフィナーレに相応しいこの曲。まずイントロのピアノのメロディ、12話で侑が歩夢の前で弾いてみせているのですが、これを「あなた(=侑)のための歌」として出してくる構成の上手さにビビりましたね笑。Aメロ、Bメロとソロでの歌唱パートが続いてからサビで全員パートに切り替わるというのも、虹ヶ咲が掲げてきたコンセプトである「仲間だけどライバル、ライバルだけど仲間」を見事に体現していると言えます。虹ヶ咲の全員曲はどれも素晴らしいものばかりですが、「夢ここ」はアニメの展開と相まってよりグッときてしまうのかもしれません。5月の3rdライブでも披露されましたが、矢野妃菜喜のピアノ披露からのこの曲が歌われるまでの流れはライブにおける象徴的な場面として多くのオタクの脳裏に焼き付いたと思います。
- PHOENIX DANCE
歌:AZALEA
「カッコよさ」がすっかり板につくようになったAZALEAから、大人なカッコよさを感じるこの曲。AZALEAは残り2つのユニットと比較して、メンバー3人の歌声が少し大人びているように感じられるのですが(あくまで個人的感想)、その声質と曲調・歌詞が見事にマッチしているといえます。曲のタイトルに「PHOENIX」と付いており、全体的な雰囲気としては「火の燃えるような熱さ」が連想されますが、虹ヶ咲のせつ菜の「CHASE!」のような真っ赤に燃え上がる炎というよりは、暗闇の中で静かに燃える火のようなイメージの曲調だと感じます。ライブでは実際に火の灯る演出もあり、めちゃくちゃかっこよかったです。今度は3人でのパフォーマンスが見たい(切実)。
- ノンフィクション
歌:Liella!
「スーパースター‼︎」のTVアニメ挿入歌から、すみれセンターのこの曲。この曲が披露されるTVアニメのエピソードの良さも踏まえてここで挙げさせてもらうことにしました。アニメ内では「ラップ」が大会の課題テーマということでその要素を取り入れた楽曲となっていますが、これまでのラブライブにおけるラップパートが入った楽曲にありがちなハードめの曲調ではなく、ジャズ調のオシャレな雰囲気のある曲になっていたところも新しさを感じられて良かったと思います。現在1stライブツアーが開催中ですが、センターのすみれを演じるペイトン尚未がそのポテンシャルを余すことなく発揮してくるので、是非多くの人に見てほしいですね。
- Day1
歌:Liella!
上記の「ノンフィクション」と合わせてLiella!の「切り札」的ポジションになりつつある(と個人的には思ってる)この曲。より純度の高まったラップのパートもあり、名実ともに「キラーチューン」という感じがします。こちらでもラップパートを担当するのがすみれ(ペイトン尚未)になっていますが、彼女のはっきりと通りやすい声質はラップとの相性も良く聴きごたえ抜群です。1stライブでは「ノンフィクション」からの流れで披露されていますが、そこで会場の雰囲気がガラッと変わる感じがたまらないですね。
- この街でいまキミと
歌:Liella!
アニメED曲「未来は風のように」のカップリングで、爽やかな余韻を感じられるこの曲。イメージとしては、楽しいことがあった日の夕方に見る景色が思い浮かんでくるような曲調だと感じます。明るくも儚げなメロディが程よいテンポで流れていく曲の感じは、聴けば聴くほど良さが染みてくると言えるでしょう。1stライブでは、「トリ」の楽曲としてライブの締めに使われていますが、いつまでもその余韻に浸っていたいという気持ちにさせてくれます。
- 私のSymphony
歌:Liella!
デビューシングル「始まりは君の空」に収録されており、TVアニメではかのんのソロverも披露されたこの曲。TVアニメで使われたこともそうですが、なにかと「文脈」の乗ることが多い曲ともいうことができます。5月のリリイベ*1では無観客の会場を活かした形でのパフォーマンスも披露され、イベントにおける印象的な場面となりました。歌詞もLiella!の過去、今、未来とそれぞれ結びつく部分があり、聴くタイミングによって印象が変わってきそうなところもこの曲の持つ魅力の1つだと思います。
- 夜明珠
歌:鐘 嵐珠(法元明菜)
昨年10月からのスクスタ2ndシーズンより本格的に物語に絡み出し、今年の8月についに同好会の新メンバーとして加わることになったランジュソロ2曲目のこの曲。作中で「凄い存在」として描かれるランジュのその「凄さ」を音楽面からのアプローチで補強できた楽曲だと思います。個人的に1曲目のソロ曲である「Queendom」がそれほど刺さらなかったこともあり、ランジュのソロアイドルとしての「凄さ」にあまり説得力を感じられてなかったのですが、「夜明珠」ではランジュの持つ格好良さや妖艶な感じが余すことなく伝わってきました。ライブでの実際のパフォーマンスも楽しみです。
歌:CYaRon!
新曲の3曲がそれぞれ「新しいCYaRon!」を見せてくれたアルバム曲の中からこの曲。中華っぽさのあるアップテンポなメロディとキャッチーな歌詞が聴いていてクセになります。CYaRon!の2ndライブ*2ではチャイナ衣装を纏ってのパフォーマンスだったり、千歌と曜のバトル演出(?)があったりと大いに盛り上がる楽曲となっていました。あとは何と言ってもAZALEA2ndライブのDJダイヤのパートで使われたのが個人的に強く印象に残っていますね笑。「DJ映え」もするこの曲の魅力を存分に味わえたと思っています。
- We'll get the next dream!!!
歌:AZALEA
「PHOENIX DANCE」に続いてAZALEAからは2曲目の選出となるこの曲。軽快なリズムとダークな感じのサウンドのマッチングが聴いていて心地よい曲です。ここ最近のAZALEA楽曲のテーマとしては「冒険」「暗闇」「迷宮」あたりがあがってくると思いますが、この曲もまた「どこか暗闇の中にいながらも、それでも次の夢に突き進んでいく」というようなメッセージ性も感じられる楽曲になっています。特にAZALEAは元々予定していた1stライブが中止になるなど、人一倍悔しい思いをしてきたところもあるといえるので、歌詞の1つひとつが深く心に刺さるような感じがします。
- Twinkle Town
歌:QU4RTZ
虹ヶ咲のアニメBD第6巻の特典として収録されたこの曲。ラブライブのミニユニットの中においても屈指の声質の良さと高歌唱力を誇るQU4RTZだからこその魅力に詰まった曲だと思います。4人のメンバーのそれぞれ得意な音域が少しずつ異なるゆえのハーモニーはまさしく「耳が幸せ」としか言いようがないものです。10月のライブ&ファンミーティングでは、クリスマスがテーマの曲らしくサンタ風の衣装でのパフォーマンスとなり、「目も幸せ」になりました笑。今の時期だとより染みてくる曲でもありますね。
以上の10曲が個人的な「#2021ラブライブ楽曲10選」になります。「Nameless Love Song」(Guilty Kiss)、「ミラクル STAY TUNE!」(虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会)、「Starlight Prologue」(Liella!)あたりの楽曲は惜しくも選外という感じですね。90曲も新しく曲が出れば、好みも人それぞれだと思うので、ぜひみなさんの10選も知れたらいいなと思っています笑。
それでは〜。
アニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」感想まとめ④
アニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」の感想ツイートをまとめています。
- 第10話「夏、はじまる。」
22点でにゃんにゃん……?
今回の虹ヶ咲10話、無印サンシャインのそれぞれ1期10話と同じ合宿回だったけど、どちらかというとサンシャインの方をより意識した作りになってる?(シャイ煮→せつ菜の謎料理、曇る渡辺→上原とか)#lovelive #虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月5日
1人1人を掘り下げるこれまでの話も良かったけど、みんなでわちゃわちゃやってる今回は「これぞラブライブ!」って感じがしたなあ#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月5日
今回で「自分の夢を一緒に見ていてほしい」という歩夢と「みんなの夢を見たい」という侑の気持ちが決定的にすれ違ってしまった#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月5日
これはサンシャインの「千歌ちゃんと一緒に何かがやりたかった」という曜と「何かをやることで輝きを見つけたかった」という千歌とのすれ違いに通じるところがある#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月5日
やってることは同じでも、向いてる方向が違うという点で、ようちかとゆうぽむは共通してる#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月5日
結局、向いてる方向は確かに違うかもしれないけど、千歌はちゃんと曜にも意識を向けている(ことを曜も理解する)ってことでここのすれ違いは解決できた。ゆうぽむはどうなるか#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月5日
それと今回で「スクールアイドルフェスティバルの開催」という大きな目標が提示されたことでいよいよアニメ全体に1本の筋が入れられた感じがあるね#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月5日
これも唐突に出てきたわけじゃなくて、「バラバラの9人のスクールアイドル」と「それを支える侑」という構図の中で、「バラバラなみんながそれぞれ輝けるステージを作りたい」という思いが結実した形のものとして出てきている。アニメとしての運びが非常に丁寧#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月5日
おそらくやっぱりアニメラブライブ!の世界では「スクールアイドルフェスティバル」というものはこれまでに存在していなかったけど、侑が虹ヶ咲での活動を通じて得た答えとして「スクールアイドルフェスティバル」が登場したんだと思った#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月5日
スクスタにおける「スクールアイドルフェスティバル」はそれまでにも開催されてる実績のあるイベントで、それゆえにあなたちゃんたちが苦労した部分もあったけど、アニメにおける「スクールアイドルフェスティバル」はおそらく初開催ってことになるだろうから、ある意味ではまだ荷が軽い
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月5日
しずくのセリフの2が並んでにゃんにゃんの既視感の正体、こみっくがーるずのわんにゃんにゃんわんまつりだ#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月6日
- 第11話「みんなの夢、私の夢」
この回は反響が大きかったですね()
アニメラブライブの世界では「スクールアイドルフェスティバル」は初めての試みとして描かれていて、今回の話はその輪郭をはっきりさせるためのものだったという印象#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月12日
「みんなで叶える物語」というシリーズ共通のコンセプトに原点回帰してきたともいえる#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月12日
やりたいことが明確になった侑は、持ち前の行動力を生かして一気にスクールアイドルフェスティバルの実現に向けて突き進むメンバーの中心として存在感が濃くなったというのも今回のミソかな#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月12日
それぞれの「やりたい」を大切に描いてきたラブライブだからこそ、その実現のためにスクールアイドルフェスティバルを開催するという流れは腑に落ちるし、そこからずれた「やりたい(こうありたい)」という気持ちを抱える歩夢をどう拾い上げるかはすごく気になるところ#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月12日
それにしても歩夢のラストのセリフはなかなかに爆弾発言だと思う。これは明らかにことりや曜が抱えた悩みとは別種のもの#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月12日
ことりにしても曜にしても、幼馴染が侑と同じムーブをしてたらそれで満足(?)すると思うんだよね。この2人は別に穂乃果や千歌を自分だけのものにしたいとは思ってなかったはずで、ちゃんと自分の方にも意識が向いていればそれでよかった#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月12日
侑の意識は少なくとも歩夢にも向いているし、歩夢もそれはわかってるはず。それなのにモヤモヤが溜まっていく一方なのは、「歩夢と侑との関係の問題」というよりは「歩夢の意識の問題」だと思う#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月12日
個人の意識の部分については、基本的には「それでいいんだよ」というスタンスを取ってきた作品だと思うので、意識にこそ問題があるという構造にしてきたのはある意味挑戦的かもしれない#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月12日
歩夢の「本当に大切な気持ち」を傷つけず、侑や他の同好会のメンバーの想いも大切にしなければいけない。ラブライブが気持ちの肯定の物語であるがゆえに難しい問題をぶつけてきたな…とは思う#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月12日
虹ヶ咲の歩夢と侑の話、解釈以前に描写から読み取れることとして「歩夢は侑に対し強い独占欲のようなものを抱いている」ってのはあるけど、そこにあるのが友情なのか恋愛感情も混じっているのかについては断定はできないと思う
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月15日
ことりや曜と比べて「ガチだ」みたいに言われるのもこの独占欲の部分をストレートに描いてきたからで、別に(これまではなかった)恋愛感情がどうこうの話じゃない気がする
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月15日
むろん、ことりや曜にそういった感情が100%なかったということも断言はできないし
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月15日
- 第12話「花ひらく想い」
ローダンセの花言葉は「変わらない想い」
11話で焼き菓子同好会がスクールアイドル同好会を模したクッキーを作ったのを見て良い笑顔を見せていた歩夢、あれこそが歩夢の本心ということがわかった12話だった#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月19日
1話を見てもわかる通り、歩夢が侑のためにスクールアイドルを始めたのは事実だけど、いつのまにか歩夢にも侑以外のファンができていて、彼女たちのことも喜ばせたいという気持ちも芽生えてたんだよね#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月19日
ただ、歩夢にとって大切な幼馴染である侑のためにスクールアイドルを始めたこと自体にとても大きな意味があって、それ以外の意味を見出すことを恐れていた。それが11話ラストの行動にもつながっていた#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月19日
今回のセリフからも、歩夢は「侑のため」以外の理由を見出してしまうことで「侑のため」という部分が薄れてしまうんじゃないかということを危惧していたと読み取れるんだけど、せつ菜が、そして侑が「そうじゃない」ということを伝えてくれた#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月19日
サンシャインの「何かを掴むことで何かを諦めない」じゃないけど、芽生えた気持ちや夢はどれも大切なんだよということが伝わってくる良い12話だった#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月19日
各メンバーにそれぞれ応援してくれる人がついているというところがはっきり描かれたのも良かったですね。かすみん、お前を応援してくれるファンもたくさんいるんだぞ#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月19日
あと、侑にとって「歩夢がいてくれたからこそ今の夢がある」というところが強調されたのも良かったよね。歩夢にとって侑が特別なのと同様に、侑にとっても歩夢はやっぱり特別な存在なんだと#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月19日
そういえば歩夢だけアニメで2曲ソロ曲があるってことになるけど、それだけ歩夢は虹ヶ咲において特別な存在ってことで納得してる(スクスタのアイコンだったり、シリーズの重要な場面で新田さん伊波さんと一緒に出てくるのが歩夢役の大西さんだったり)#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月19日
それにしても今回の12話、この問題に対するアンサーとして満点でしょ#虹ヶ咲 https://t.co/XpLyR1JFPP
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月19日
11話→12話で描かれた上原歩夢の感情について自分の中でいい感じに整理できたので共有 #虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月20日
・侑にとって一番大切なのは自分であってほしい→11話の侑の「違うよ」のところで確認(直後に安心した表情も見せている)。12話を経てもここの気持ちは変わっていないと思われる
・自分にとって一番大切なのは当然侑→一貫してブレずに描かれている部分。歩夢の気持ちの「中核」ともいえる
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月20日
・上記であるがゆえに、侑以外の大切なものの存在を認めてしまうことで侑への気持ちが薄れるのが怖い→12話においてキーポイントとなる感情。せつ菜や侑の言葉を聞いてその恐怖を克服できたといえる
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月20日
・上記と同様に、侑にとっても自分以外の大切なものができることで自分への気持ちが薄れてしまうのが怖い→侑の言葉を聞けなかった理由。自分の同様の感情を整理できたことで、この恐怖も克服した
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月20日
11話で描かれた歩夢の重さを考えると、12話は少しあっさりしていたって意見もあるけど、個人的には歩夢の根本的な部分(重いと言われているところ)は変わっていなくて、むしろ侑がその重さを受け止めきれるだけの度量があったからこその12話だと思った
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月20日
- 第13話「みんなの夢を叶える場所(スクールアイドルフェスティバル)」
3ヶ月間本当にありがとうございました
虹ヶ咲全13話視聴完了。「ラブライブ(大会)に出場しないラブライブのアニメ」ということで、過去2作品とは大きく変えてきたわけですが、上手いこと1本の線の通ったアニメにまとめてきましたね#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月26日
この3ヶ月間、本当に毎週楽しかったし「虹ヶ咲をここまでずっと応援してきてよかった」と思えるアニメ化でした。関係者の方々、本当にありがとうございました#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月26日
無印やサンシャインが「廃校阻止」、スクスタでは「廃部回避」というようにマクロな課題に取り組むのが描かれているのに対して、アニメ虹ヶ咲では個々のミクロな課題を話の中心に描いていたというのも新鮮だし、ある意味ではよりアイドルアニメらしい作劇だったようにも感じます#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月26日
あと「夢を追いかけてる人を応援できたら、なにかが始まる」「みんなで叶える物語」というような作品やシリーズとして掲げているテーマにとことん忠実なアニメだったと思います。アニメとしてやりたいこと、描きたいことが明確な分、ストーリーとしてもすごく丁寧な印象を受けましたね#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月26日
虹ヶ咲の9人のメンバーを改めて解釈したうえで、そこをベースとしたストーリーを展開させていたのも印象的でしたね。アニメを通して「この子のこういう部分にはこんな魅力があるんだ」ということを発見するきっかけにもなった#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月26日
「みんなで叶える物語」という要素が強調されるなかで、アニメ虹ヶ咲の世界の温かさを感じられたのもよかったですね。この世界線での物語をもっと見てみたい気持ちになりました#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月26日
13話の細かいところでいうと、やっぱりかすみの髪飾りのくだりは驚かされたよねwまさかそういう扱いにしてくるとは…と良い意味で衝撃だった#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月26日
どちらかというとアニメのしずかすは(スクスタもだけど)かすみがしずくに"与える側"、しずくはかすみに"与えられる側"としての面が強調されて描かれているように感じていたので、かすみのアイデンティティの1つでもある月模様の髪飾りを"与える側"としてのしずくの描写に使ったのは素直に脱帽#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月27日
しずかす、あとエマかりはアニメでより関係性が強化されたように感じる。もちろんゆうぽむもだけど#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月27日
そういえば大事なこと言い忘れてた。スクフェスのかすみん主導の即興劇のシーン、しずせつで感無量でした(ユニットマッチング投票でしずせつデュオに投票勢)#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年12月27日
これでまとめは以上となります。
「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」、良いアニメでした。ありがとうございました。
アニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」感想まとめ③
アニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」の感想ツイートをまとめています。
- 第7話「ハルカカナタ」
彼方ちゃんのキズナエピソードを見事に使ってきた。これは良原作(スクスタ)があっての組み立てだなあ#lovelive #虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月14日
スクスタはクソ、アニメは素晴らしい論はそんなに好きじゃないからスクスタのキズナエピソードをもとにアニメとしてちゃんとまとめてくれたのが個人的に嬉しい#lovelive #虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月14日
アナザー高海千歌こと支倉かさねの声、千本木さんか(つよい)
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月14日
虹ヶ咲アニメ、ほぼ毎話各キャラの「家での様子」が描かれてるし、次のしずく回の鎌倉のお嬢様としての描写に期待してる
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月14日
彼方ちゃん回、「見たかったものを見れた」回だった#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月14日
いや、虹ヶ咲アニメはずっとそうなんだけど、今回は特にその感じが強かったというか#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月14日
- 第8話「しずく、モノクローム」
「桜坂しずく」について改めて考えさせられました
しずく、スクスタとかでも「演じることが桜坂しずくのアイデンティティ」みたいな感じで描かれてたから、そうじゃないパーソナルな部分を見せてきたのは新鮮味があるわね#lovelive #虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月21日
「演じるのが好き」でそれ自体がキャラとしてのアイデンティティになってたしずくだけど、そこの「なぜ」を掘り下げつつ「演じる前の桜坂しずくはどんな子?」というところに迫ってきた#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月21日
何度も「虹ヶ咲アニメはキャラクターの再解釈が上手い」という話をしてるけど、今回もまさにそんな感じなんだよな#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月21日
それこそスクスタ20章や序盤でのしずくがなぜああいう行動をとるのかという点についても、「確固とした自分がわからない(そこに自信がない)から」ともとれるわけで#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月21日
アニメの場合はそこをかすみの言葉で導いてあげるという流れだった。多分スクスタでもかすみやあなたちゃんがしずくにとっての「確固とした自分」を見出してあげるんでしょう#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月21日
あと中須かすみは強い覚悟と矜持を持ってあのキャラクターでスクールアイドルやってるんだと思う。ただの調子のいい後輩ではない#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月21日
中須かすみ、理想と現実のギャップを一番受け入れてるキャラだと思う。だからこそかすみにとっての「確固とした自分」は揺るがない強さがある#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月21日
正直せつ菜推し(次点でしずく)になってない状態でニジガクアニメ見てたら中須後輩に落ちてた自信がある(しずく回の後に言うことか?)#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月21日
しずくにとっての演劇は璃奈ちゃんボードと同じで「弱さを補える武器」でもあるんだなあと…。いやー本当にキャラクターの設定の使い方が上手くて感心するわニジガクアニメ#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月21日
しずく回、心残りがあるとすれば鎌倉のしずく宅の様子が描かれなかったことかな…#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月21日
自分をさらけ出すことに抵抗がなくなった桜坂しずく、同好会の部員同士で百合妄想したものをニジガクジャーナルに載せ始めるからな…
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月21日
ここから個人的な解釈の話。まず「桜坂しずくにとっての演劇とは何か」だけど、ここはやっぱり「桜坂しずくといえば演劇」といえるような彼女のアイデンティティであり、しずくにとって自己を表現するために必要不可欠なツールでもあると思う
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月23日
「演じない桜坂しずくは桜坂しずくではない」といってもいいくらいしずくと演劇は切っても切り離せない関係で、ここはスクスタもアニメも共通してる。結局アニメでも、「桜坂しずくに近い役」を演じることが終着点となっていて、それを「しずくが演じることに意味がある」というオチのつけ方だった
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月23日
最後の「本当の私を見てください」というセリフも、「演じない桜坂しずく」を見てほしいというよりは、「桜坂しずくとして表現できる演技」を見てほしいということだと思った。「私だからこそできる演技があるんだ」と。アニメ8話はしずくの役者としてのアイデンティティの確立の話
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月23日
次に「桜坂しずくはなぜ演劇をするのか」。どちらかというとこっちに解釈違いを抱えている人が多い印象。スクスタや他の媒体であれだけ熱を入れて取り組んでいた演劇を「本当の自分を隠したいから」というマイナスな動機でやっているというのはたしかに違和感を感じても仕方ないとは思う
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月23日
ただ、アニメのしずくが演劇をやりたい理由は「本当の自分を隠したいから」だけではなくて、実際にオードリー・ヘップバーンとかの昔の女優や作品が好きだからこそその世界に惹かれたということも描写されてるし、おそらくそっちの方が本意にはより近い
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月23日
そうでなければ「桜坂しずくと近い役」を演じること自体できなかったと思うし、無理に演じようとも思わなかったはず。自分をさらけ出すという苦手なことに挑戦してまでもやりたかったのは、やっぱり演劇そのものが「好き」で「やりたい」からってことになる
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月23日
むしろアニメ8話のストーリーを「桜坂しずくと演劇」という文脈で解釈するのであれば、大好きで本心からやりたいと思っている演劇について、それを「本当の自分」を出さないための隠れ蓑のように捉えていること自体がしずくは嫌で、「そうじゃないんだよ」ということに気づくための話とも捉えられる
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月23日
- 第9話「仲間でライバル」
モブライブの充実ありがたいです
今回は同好会の在り方を示した話で、Aパートでは「仲間だけどライバル」、Bパートでは「ライバルだけど仲間」というところをわかりやすく描いてきたね#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月28日
これで9人分の当番回が終わったわけだけど、「メンバー個々はこういう子たちです」「それが集まった同好会とはこういう集団です」という紹介を済ませるところまではやった。ここからどうするか#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月28日
その紹介はすごく丁寧にやったと思うし、内容としても良いものだったけど、虹ヶ咲アニメが「どんな作品なのか」を決めるのはこの先の4話分で描くものによると思う#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月28日
今回はここまで。
次でラストになります。
アニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」感想まとめ②
アニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」の感想ツイートをまとめています。
- 第4話「未知なるミチ」
愛さんが"陽"の存在すぎてまぶしい
高咲侑、上原歩夢、宮下愛、天王寺璃奈、これだけのメンバーを一発でスクールアイドルに夢中にさせる優木せつ菜のライブ…#lovelive #虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月24日
一人一人の個性を輝かせるためのソロ路線って方向性がより明確に見えてきましたね#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月24日
愛さんがどういう人間で、どんなことを考えていて行動に移すのか、そこが今回のベースの要素になってる#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月24日
せつ菜のライブを見て楽しそうだと思ったからとりあえずやってみる→自分が楽しくて人にも楽しんでもらえるのが自分のやり方だと気づくという流れも、「宮下愛だったらこうする」ってところから逆算して描かれてるような感じがした#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月24日
ニジガクアニメの描き方自体が「キャラクターを解釈する」という出発点で描かれてる気がする#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月24日
ある意味「侑ちゃんの導き(後押し)」が必要だった歩夢、かすみ、せつ菜と違って(エマにかけられた言葉がきっかけだったとはいえ)自分でやりたいことの答えを見つけ出せるのも愛さんらしいというか#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月24日
愛さんのやりたいスクールアイドルのイメージが「自分もみんなも楽しい」なの、1stライブで愛さん(というかなっちゃん)のパフォーマンスを見たときの自分と解釈一致してるんですよね https://t.co/5Zsul6lUSW
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月24日
これ、オレンジ(みかん)色の系譜=主人公の要素っていうのを見て、なるほどなってなった https://t.co/MXEcpdnewJ
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月24日
そういえば助っ人してる描写のあった虹ヶ咲バスケ部って、全国出場レベルだったような…(愛さん半端ない)
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月24日
- 第5話「今しかできないことを」
「やりたいと思った時から、きっともう始まってるんだと思う」
誰かの気持ちに寄り添うことができるスクールアイドル、エマ・ヴェルデの話だった#lovelive #虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月31日
果林回は「とりあえずなってみたはいいけど、朝香果林としてスクールアイドルをやることがどういうことか」を再定義する回になるのかな#lovelive #虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月31日
「自分はこうじゃなきゃいけない」を「自分が本当はどうありたいか」で上書きする構成、サンシャインの1期5話と同じだよね(すき)#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月31日
「誰かの気持ちに寄り添えるスクールアイドル」としてのエマと自分の本当の気持ちにあと一歩踏み出せない果林の2人の話としてあまりにも綺麗すぎた#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月31日
ここまでのニジガクアニメ、各キャラクターのスクールアイドルとしてのカラーみたいな部分を本当に大切にして描いてて、マジで信頼の塊って感じ#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月31日
- 第6話「笑顔のカタチ(〃>▿<〃)」
璃奈ちゃんボード、エピソード・ゼロ
弱点を長所で補えばいいのがアイドルで、璃奈の場合は表情がうまく出せないの(弱点)を発想力や技術力(璃奈ちゃんボード)で補えばいいってなるのか#lovelive #虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月7日
弱点を無理に克服するのではなく、それを受け入れた上で別の長所を使って補うという話に璃奈ちゃんボードを組み込んでくるの、キャラクター設定をもとにしたアニメ作りとしてはほぼ満点に近いのでは?#lovelive #虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月7日
そういえば途中で出てきたジョイポリスのVRゲーム、Abemaの番組で虹ヶ咲キャストも挑戦してたんだけど(内容はゾンビを倒すというもの)、ホラー苦手なあかりんが悲鳴を上げながらも出てくるゾンビを次々と倒して最高得点上げてたのが結構印象に残ってる#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月7日
同じくホラー苦手なあぐぽんはへたり込んでしまってたけどw#lovelive #虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月7日
2周目見終えたけど、今回は「天王寺璃奈に起こった変化」の話としてすごく丁寧な印象#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月7日
璃奈のもともとのキャラクター性、「宮下愛と出会ったこと」による変化、「スクールアイドルと出会ったこと」による変化、2つの出来事を通しても変わらなかった部分とボードによってもたらされた変化。これらを1話の中でしっかり描き切ったなという感じ#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月7日
毎回言ってるけど、虹ヶ咲アニメのストーリーの組み方がキャラクターへの解釈から入ってる感じで、今回もそこをすごく丁寧にやってたと思う。作劇の安定感が半端ない#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月7日
今日出てきた璃奈のクラスメイトの3人組、ただの日替わりモブかと思ってたけどクレジットで名前付いてたしもしかして虹ヶ咲の神モブ枠の可能性ある?#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月7日
そもそも裏方を引き受けられる侑がいる分神モブ枠の出番はそこまでないってのはあるだろうけど#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月7日
細かいところでいうとジョイポリスのシーンでVRゲームの敵やぬいぐるみとして出てきたやつ、あれもちょぼ先生の4コマのキャラだよねw(ちょぼ先生、ニジガクに多くをもたらす存在になってる)#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月7日
神モブを主人公と同じ学年(2年生)にせず1年生にしてきたのも虹ヶ咲がこれまでのシリーズとはちょっと違う位置付けの作品であることを示してるな
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年11月7日
今回はここまで。
次は7話から9話までになります。
アニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」感想まとめ①
アニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」通称「アニガサキ」、いやー、終わってしまいましたね…。早速ですが、1話〜13話までの自分の感想ツイートをまとめていこうと思います。
- 第1話「はじまりのトキメキ」
すべてはここから始まりました
2周目見終わった。「好き」の肯定をテーマに掲げるシリーズの作品らしい、良い第1話だったと思います#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月3日
虹ヶ咲における最大の特徴「ソロ路線」をアニメでどう見せてくるのかというのもちゃんと示してましたね#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月3日
もともと(サンシャインのAtpを11人で歌うとかネクスパで3年生が出てくるとかのように)現実とそうじゃないところをあえて区別しないような描写のあるコンテンツではあったんだけど、CHASEのところの演出とか歩夢の歌唱シーンとかわかりやすくそういうシーンがあったのも今作のポイントっぽいな
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月3日
これまでのラブライブのアニメは(割と良い意味で)どちらかというと展開は大味にして、個々の描写のパワーで見せるって感じがあったけど、虹ヶ咲アニメはそれぞれの描写が綺麗につながっていく感じがある
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月4日
ラブライブのアニメ=「ラブライブ」という大会を目指すものだと認識していたので、虹ヶ咲のアニメが少なくとも1話ではそこを匂わせてないのは、「これまでと違う」って感覚になった
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月6日
1話単体としてはまず「良かった」ってなるのは間違いないんだけど、全体として何を目指していくのかとかそういうところは「まだわからない」んだよね
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月6日
これらのテーマに対する答えが得られたのは「ラブライブ」という大会を通してだと思うので、虹ヶ咲がテーマをどう設定し描いていくかみたいなのはすごく気になるところ
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月6日
- 第2話「Cutest♡ガール」
世界で一番、ワンダーランド♪♪♪
果林先輩の有能ムーブがラブライブのアニメ序盤の3年生としては異例すぎる()#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月10日
2話全体としては、スクスタと別のアプローチから☆ワンダーランド☆の解像度を上げてきましたね#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月10日
来週のせつ菜回が最初のヤマになる感じだと思うのですが、そこに向けた描写の積み重ねもある#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月10日
あと侑にベタベタするかすみに対する歩夢の目線がよかったです#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月10日
「かすかす」呼びのタイミングも完璧だった#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月10日
矢野ひなきさん、侑役にハマりすぎててビビる
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月10日
そういえば虹ヶ咲の今後の加入順(掘り下げ順?)、せつ菜→愛→エマ→璃奈→彼方→しずく→果林の順が濃厚なのか
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月10日
ニジガクアニメ、マジで構成が巧すぎる
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月10日
- 第3話「大好きを叫ぶ」
推しの回は余計に緊張しました(笑)
本作の方向性をきちんと示した回でしたね#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月17日
廃部もこれまでの生徒会長的な「スクールアイドルは認めない(もうこの学校では見たくない)」という理由ではなく、「せつ菜がいる同好会は終わりにする」という意図からで、強引ではあるけど強硬ではない感じ#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月17日
廃部の問題が早期に解決したことで、もともと同好会にいたメンバー(エマ、彼方、しずく)はそのまま復帰するという流れなのかな。このあたりの展開はこれまでの2作と比べてもスムーズではある(どちらが良いという話ではなく)#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月17日
前回のかすみの気付きが今回のせつ菜の葛藤に結びつくようなアニメの構成になっていたのは本作の巧さだと思う#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月17日
ちなみにせつ菜の理想は「みんなが大好きを言えて、それが誰にも否定されない世界」なので、今回の「自分の大好きが他人の大好きを傷つけているかもしれない」という葛藤はすごく良いんですよね…#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月17日
あと優しそうに見えたせつ菜(菜々)の母親だけど、せつ菜がスクールアイドル関連のもの以外にもゲームやマンガ・ラノベとかも親に見られないようにしてるっぽかったのは色々感じ取ってしまうところだよね#虹ヶ咲
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月17日
実は穂乃果も千歌もラブライブに対して「なんの意味があるの?」とか「どうでもよくなってる」とか言ってるシーンがあるけど、これらはどちらかというと「やっぱりラブライブに出たい」っていう気持ちの再確認につなげるためのセリフだった
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月17日
それに対して今回の侑ちゃんの「ラブライブなんて出なくていい」は、ラブライブに出ることがやりたいことをやるための障壁になるくらいなら、本当にラブライブなんか出るべきじゃないっていう強い意志を感じる
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月17日
そういえば虹ヶ咲3話のせつ菜が歌うシーン、貴重な「制服姿の優木せつ菜」のシーンなんだよな
— よしのきらら@ハミダシモノサイン会15日2部 (@kirara_yoshino) 2020年10月20日
ツイートの数が多いのでとりあえず3話まで。次の記事で4〜6話の分の感想をまとめます。