ラブライブ!スーパースター‼︎2期を自分なりに噛み砕いていく〜自分にしかできない見方を〜

みなさん、こんにちは。虹ヶ咲5thの感想記事(虹ヶ咲5thライブについて感じたことを - よしのきららのブログ)に引き続き、今月2本目となるブログの更新です。

 

ここ最近、ラブライブ!スーパースター‼︎のTVアニメ2期についていろんな人が感想のブログを上げているので、流行り(?)に自分も乗っかってみようという感じです。軽めの気持ちでお付き合いいただければと思います。

 

さて、本題に入っていくのですが、その前に現状としてラブライブ!スーパースター‼︎の2期に関してはかなり批判的な意見も多く見受けられます。個人的に、批判意見そのものにはあまり賛同できないことが多いですが、批判意見が出てくること自体は仕方ないとも思っています(言い方に問題を感じることはありますが)。

今回はどちらかというとスーパースター2期の内容については肯定的な立場からの感想ということにはなりますが、決して「批判的な見方をするのが悪い」「批判している人は解像度が低い」というようなことを言いたいわけではないので、その点は先に伝えておきます。

 

それでは、感想の方を言っていきたいと思います。

 

目次

・2期はどんな話だったのか。「縦軸」を考える

・「スーパースター」というタイトルの意味

・1年生が果たした役割

・平安名すみれという人間

・澁谷かのんの才能

・最終的な着地点は何なのか

 

  • 2期はどんな話だったのか。「縦軸」を考える

まず、感想を話す場合にはその物語が「どんな話だったか」を掴んでおく必要があります。ここでの「どんな話だったか」ということについては、主に2つの概念を用いて考えたいと思います。1つはそれぞれのエピソードが個々に持つ意味を考えるための「横軸」、そしてもう1つがそれらのエピソードが連なって形成される1つのストーリーについて考えるための「縦軸」の概念です。

例えば1〜2話では「桜小路きな子のスクールアイドルへの出会いと挑戦」「新たな目標に向かって動き出したLiella!の決意」が「横軸」としてのテーマとなっていたり、4話では「しきメイのお互いへの思いやりとエール」が、9話では「すみれの可可に対する特別な思いと葛藤」が「横軸」として展開の起伏をもたらしたりしていました。

これら個別のエピソードについても個人的に良かったと思えたり、好きな内容と感じたりするものがあったのですが、ラブライブ!スーパースター‼︎のアニメはそれらの「ショートエピソード総集編」では無いわけで、作品全体に対しての感想を言うのであればやはり「縦軸」についても把握しておく必要があります。

1期の時の縦軸は最終回の12話で非常にわかりやすく提示されており、挿入歌の『Starlight Prologue』という名前が表しているように「スーパースターへの序章」「(何かを成し遂げるという)夢への第一歩」がそのままアニメ1期のテーマとなっている感じでした。12話でSunny Passionに敗れたLiella!が初めて「負けることの意味」を知り、「勝ちたい」という目標を明確にする、そうして終わりを迎えた1期の構成はかなり綺麗だと思いましたし、2期への期待も非常に高まる内容だったと言えます。

2期はその1期の続きとして描かれるわけなので、「縦軸」もそこは意識されていると感じました。OPの『WE WILL!!』の歌詞で"さあ戦うんだいま 僕らの風巻き起こそう 駆けのぼってくのさ 絶対負けない勝つんだ!"とあるように、「勝ちに行くこと」がまずは念頭に置かれていたと思います。

「勝ちに行く」という意味でのスーパースター2期のストーリーはかなり王道かつシンプルです。1期でも示されていたようにそれぞれに異なる想いを抱えてLiella!としてスクールアイドルの世界に飛び込んだ2年生の5人でしたが、彼女たちがそれぞれに抱える想いを口にしても*1「あくまで優勝を目指す」という部分は全員が共有できる目標としてずっと存在し続けていました。2話で一時はその目標を見失いかけるわけですが、それがかえって「優勝を目指したい」という意志の強さを確認することにつながったのは個別のエピソードが全体のストーリーの中で果たす役割としても良かったと思います。

そして「勝ちに行く」ということを明確な目標に掲げたLiella!にとって、乗り越えなければいけない大きな問題が2つ提示されていました。1つは「2年生と1年生の実力差」問題であり、もう1つは「ウィーン・マルガレーテの存在」です。

2期でのLiella!に関しては、これまでにラブライブ!シリーズで描かれてきたグループと違い「それなりに名の知れた強豪校」というポジションでラブライブに挑むことになります。ある意味ではこれまでで一番「優勝」という目標が「地に足ついたもの」であるともいうことができ、それゆえに「堅実な勝ち方」を求められる側面があったのかもしれません。だからこそ「1年間のアドバンテージがありハイレベルなパフォーマンスを見せる2年生」と「その2年生に憧れて今年からスクールアイドルを始めた1年生」の間の実力差というのは「あって当然」で、なおかつ「何とかする必要がある」ということなんだと思います。当たり前のことですが、1年生が2年生に追いつこうと努力する間に、2年生も同じように努力を続けているわけで、「実力差」というのは簡単には埋まりません。それでも何とか食らいつこうとするからこそ1年生も輝いて見えるし、ただ実際には実力差は埋まらないので9話のような「1年生を外す」という話も出てくる、そこに不自然な点は特にないと感じています。

そして「勝ちに行く」というLiella!にとって、大きな障壁として立ちはだかったのがウィーン・マルガレーテです。彼女は3話の代々木スクールアイドルフェスで「優勝候補」だったLiella!の前に現れ、優勝を掻っ攫っていきました。文字通り見る人を「圧倒する」というパフォーマンスで、スクールアイドル界の新たなスターとなったマルガレーテは、今度はLiella!にとっても超えるべき目標だったSunny Passionの前に立ちはだかり、連覇の夢を打ち破っていきます。ここで重要なのは、「ウィーン・マルガレーテがその圧倒的な実力をもって優勝を目指すLiella!やSunny Passionの前に立ちはだかった」ということです。これまでの作品と比べても優勝という結果を強く意識していたスーパースターにおいて、ウィーン・マルガレーテというライバルの登場は強力な意味を持っていると感じます。

10話では、あくまで観客を圧倒し出場してくるスクールアイドルを打ち負かそうとするマルガレーテのステージに対して、Liella!は「みんなで楽しむ」というスタンスで会場を味方につけたことでラブライブ決勝大会への進出を決めました。ここまではラブライブで勝ちに行く」という明確な縦軸に基づいたストーリーだと感じていて、Liella!がマルガレーテに勝利するという結果の理由のところまで描ききった点については本当に良かったと思います。実力差の問題もマルガレーテの存在も、10話での(厳密には11話で明かされる)東京大会の勝利という結果に至る過程の中で、しっかりとストーリー上における役割を果たしていたと評価することができます。

ただ、10話(11話の東京大会の結果判明)まではそのような評価になるですが、この「縦軸」の部分がラブライブ決勝大会のところまではあまり繋がっておらず、別の「縦軸」に切り替わった感じもしていて、12話までを1つの作品として見た場合のスーパースター2期への評価はかなり難しいところです。12話のラストでかのんがそのまま留学をしていれば、2つ目の「縦軸」の話もできたとは思うのですが、現状そこはどうしても宙に浮いてるような気もします。あるいは「勝ちに行く」という縦軸をそのまま決勝大会でも大いに意識した作劇であれば違った印象になっていたのかもしれないですが、結局この辺りはSunny Passionもマルガレーテも都内のスクールアイドルで、決勝大会における新たなライバルを登場させるほどの尺もない以上、仕方がなかったような気もします*2

 

  • 「スーパースター」というタイトルの意味

ここまで、スーパースターの2期は「Liella!がラブライブで勝つこと」を縦軸として描かれたストーリーであることを説明してきました。ラブライブでの勝利を目指したLiella!が、実際にその結果を掴み取るまでの過程において、乗り越えるべき壁を超えていくという2期のストーリーはきわめて王道的であり、方向性としても明確です。それでは、そもそもLiella!にとっての「ラブライブで勝つこと」とはどのような意味があるのか、といった点についても少し触れていこうと思います。

ここで少し作品とは直接関係ない話をするのですが、今年のサッカーの天皇杯で優勝したのはJ2のヴァンフォーレ甲府でした*3。一方、昨年に優勝したのはJ1の強豪・浦和レッズでした。同じ「天皇杯優勝」という結果であっても、「浦和が優勝する」というのと「甲府が優勝する」というのでは見てる人に与えるインパクトもかなり違ってきます。浦和が優勝しても「順当」「むしろタイトルを取れない方が問題」くらいに言われてしまうのですが、甲府の優勝に関しては「感動した」「すごい」「歴史に残る優勝」といろんなところでその結果を称賛するコメントが見られています。つまり何が言いたいかというと、同じ大会の優勝でも誰(どんなチーム)が優勝するかによって人々に与える印象は全く異なるということです。

これをラブライブに当てはめて考えます。スーパースター2期のLiella!は序盤から「学校にとっての誇り」「ラブライブ優勝候補」「新入生の憧れ」といった扱いであり、前年優勝者のSunny Passionからも一目置かれるなど、今までの作品で出てきたスクールアイドルとは明らかに違う描かれ方をしています。ようするにラブライブ!スーパースター‼︎におけるLiella!のラブライブ優勝というのは、甲府の優勝のように見た人の多くから「すごい」「感動した」と言われるような類のものというよりは、浦和の優勝のように「あー、今年はそうなんだ」と受け流されてしまうくらいのものという方が適切で、その点を意識せずにμ'sやAqoursラブライブで優勝した時の描写と比較するとどうしても薄味に感じてしまうのだと思います。

そして個人的には、この「勝って当たり前」*4というLiella!の描き方こそが、本作が「ラブライブ!スーパースター‼︎」たり得る重要なポイントだと感じています。この物語は、「普通の子」が「特別な結果を生み出す」というストーリーではなく、「特別な子」が「相応しい結果を生み出す」というストーリーであると読み取ることができて、そこが今までのラブライブ!の作品とは異なる新規性の部分と言えます。実際、「弱小校の優勝」と比べて「強豪校の優勝」は「ストーリー性」がどうしても薄く感じられる側面があり、本作についてもその点は例外ではないと感じます。ただ、「強豪校=スーパースター」を主人公側に据えて描いた作品としてのスーパースター2期は、しっかりと展開の起伏や乗り越えるべき壁を描けているという点で、個人的には高く評価したい感じです。

 

  • 1年生が果たした役割

「普通の特別」を描くのではなく「特別の普通」を描いたのがスーパースターであるという認識を伝えてきましたが、ただ「特別の普通」を描くだけでは我々のような「普通のオタク」にとってはどうしても遠い存在のような話に感じてしまう部分があります。そこで重要になるのが1年生の4人の存在です。

まず、前提として2年生の5人は1期の頃から「特別な存在」であることを度々強調されていたという点を押さえておく必要があります。かのんは歌の、千砂都はダンスのスペシャリストでありその実力はスクールアイドルを始める前の時点で「特別」の域に達していましたし、恋は文武両道の才色兼備な存在として描かれており、すみれは幼い頃から芸能活動をしていたという特別な経験の持ち主で、可可は運動以外はパーフェクトという設定です。そんな特別な才能や実力に恵まれた2年生(1期生)の5人がスクールアイドルになり一つの方向へと進み始めた時点でそれはもう「スーパースター」の領域になってくるわけですが、1年生の4人には少なくともスクールアイドル活動を始める前の段階ではそういった「特別な何か」を持っていたような描写はありませんでした*5。つまり「特別の普通」を主に描くスーパースターにおいて、1年生の描写は「普通の特別」の部分を補完しているとも言えます。

特に顕著と言えるのがオニナッツこと鬼塚夏美に関する描写の部分です。彼女は「何をやっても夢に近づくことができない」というこれまでの経験から「夢を語らなくなった」という人物造形であり、「持たざる者の葛藤」が描かれていました。スーパースターで描かれることが多いのは、かのんが歌の才能を発揮できずに苦しんでいたというような「持つ者の葛藤」の方なので、夏美に関してはある意味では今までシリーズで描かれてきたスクールアイドルにより近い存在であるということができます。夏美はハイレベルなLiella!という集団の中においては、パフォーマンスの面でそれほど秀でた存在とは言えないかもしれませんが、加入直後の6話挿入歌『ビタミンSUMMER!』では即センターの座を務めています。Liella!の中でも安定して高いパフォーマンス能力を持つとされるすみれでさえ、加入後しばらくはセンターを務めることができなかったわけですが、パフォーマンス能力ではそれほど高くないとされる夏美がすぐにセンターを務めたというのは、2年生と1年生の抱える課題の違いを表しているのだと思います。ハイスペックな2年生に対して、多少引け目を感じることはありつつも、なんとか並び立とうとする1年生の姿勢は、スーパースターという作品において燦然と輝いて見える部分でもあります。

 

  • 平安名すみれという人間

ハイスペックな2年生と「持たざる者」な1年生を見比べて、1年生に関する描写が持つ意味についてここまで考えてきました。ここからは、そんな1年生の描写が増えたことでより解像度が上がった2年生についての話です。2期においては、新たに1年生4人が加わったことで、既存の2年生5人についても新たな側面が見えるようになりました。それは1年生と実際にどう関わっているかというのもそうですが、1期の時の描写についても2期での描写と見比べることで違った見方ができるようになるということです。

個人的にLiella!の推しである平安名すみれも、2期になってからより人物像への解釈に深度が出てきた1人です。すみれは元々芸能の仕事の経験があり、Liella!の中でも現実的な視点や総合的に高いパフォーマンス能力を持った存在として描かれてきました。しかし、そんな「エース級」の実力を持ったすみれですが、実際に「エース(=センター)」としての活躍を見せたのは加入からおよそ半年後の『ノンフィクション‼︎』のステージでした。一方で先述のように夏美は加入直後の『ビタミンSUMMER!』のステージでセンターを務めていることから、夏美とすみれでの違いについても考えることができます。2人ともLiella!への加入自体を勧誘されたのは澁谷かのんによってということにはなりますが、夏美にとっては「最後の一押し」でありすみれにとっては「最初のきっかけ」でした。夏美はLiella!に入る前の時点でエルチューバーとして前に進めていたからこそ、かのんの言葉で『ビタミンSUMMER!』のセンターも務められましたし、その前の時点で1年生3人を見て自分も変わろうとし始めていました。一方ですみれはLiella!に入るまでは消極的な方法での「スカウト待ち」しかできず、前に進むことを恐れてしまっていたからこそ、『ノンフィクション‼︎』の前まではセンターの座を務められなかったということが明確になったわけです。

すみれが可可に貰った『ノンフィクション‼︎』のティアラをずっと大切にしまっていたというのも、すみれにとってあの時可可からかけられた言葉が前に進めなくなっていた自分を変えてくれたからで、そのことにずっと感謝をしていたのだと考えれば、この上なくしっくりくる描写だと感じましたし、9話はその辺りの「答えあわせ」として最高の回だったと思っています。可可への感謝の気持ちが大きくなりすぎたからこそ、唯一彼女の帰国問題を知る立場として「ラブライブで勝つ」という結果にこだわり、それゆえに他のメンバーとはどこか違うところを見据えていたような描写が多かったのも、本作がそういった感情や思考の部分について丁寧に描いていることの表れで、個人的に高く評価したいポイントです。

 

  • 澁谷かのんの才能

2期での2年生の描写で、特に重要といえるのが(これは賛否両論ありますが)かのんに関する内容です。1期ではスクールアイドルを始めるきっかけとなったのは可可の行動であり、かのんはあくまでそれに巻き込まれるような形でスクールアイドル活動をスタートしました。歌の才能に恵まれながらも過去の失敗の経験から歌うことができなかったかのんは、最近はやはり無理だと弱気になりますが、自分を信じる可可に応えたいと思うようになり、過去のトラウマを克服して再び歌を人前で披露できるようになったという流れです。挫折を経験していることもあり、他人に対しての共感力が高い人物として描かれていたかのんは、すみれのスクールアイドルへの勧誘、千砂都のダンス大会への駆けつけに加え、当初対立していた恋に対しても事情を理解し想いを汲み取ろうとするなど、作中の人物はもちろんのこと多くの視聴者にも魅力的な人物として映っていたことと思います。

2期においてはそんなかのんのいわゆる「人たらし」的な部分がこれでもかというほど描かれており、特に1年生に対して強い影響を与えていたように感じます。この点についてはいくつか考慮すべきポイントがあると思っていて、まずはかのんが「自身がとてつもない才能に恵まれていること」、そして「他人への共感力が非常に高いこと」、さらには「相手に合わせた言葉を選ぶ能力が卓越していること」です。一つずつ紐解いて見ていきます。

1つ目の「かのん自身がとてつもない才能に恵まれていること」については、言葉の通りかのんの歌の才能が圧倒的なものとして描かれているということです。スーパースターは「特別な子」を描く物語なわけですから、かのんの才能についてもフィーチャーされるのは至極当然のことと言えます。物語開始時点でのかのんはその才能によって周りからの期待を一身に背負った結果、プレッシャーで潰れてしまったというところから描かれており、そんな彼女がその才能を遺憾なく発揮できるようになることはスーパースターの物語が着実に前へと進んでいることの表れなんだと思っています。そして才能を発揮できるようになったかのんはLiella!や結ヶ丘の中心人物としての地位を確立していくわけです。

2つ目の「他人への共感力が非常に高いこと」については、彼女が才能に恵まれながらもそれを思うように発揮できずに苦しんでいた経験があったからこそ、いろんな相手の立場に立てるという点です。才能があって、それを遺憾なく発揮し続けられる人間は凄いのですが、かのんの場合はそうでないからこそきな子や夏美のような相手であってもきちんと対話ができるわけです。才能があるゆえに大きな挫折をしたというかのんだからこそ、才能の有無や挫折の経験の有無と言った立場の違いを超えて寄り添う姿勢を見せられるのであり、これはまさしくかのんにしかできないことです。

3つ目はそのことと関連してくることで「相手に合わせた言葉を選ぶ能力が卓越していること」です。立場の違いを超えて相手に寄り添うことのできるかのんは、ただ寄り添うだけでなく相手にとって欲していた言葉を投げかける能力にも長けています。元々才能には恵まれていて、過去に挫折を経験しており、さらにその挫折を乗り越えようとしているかのんは、自分自身に対しても他人に対しても説得力のある言葉を発することができるために、物語を前に進めることができる存在としてこれ以上ないと言えます。

つまり、ここで言いたいのは「澁谷かのんはなるべくして主人公になった存在」で「スーパースターの中のスーパースターになり得る器」でもあり、そんな彼女が誰かに強い影響力を持ったり物語の中心として目立ったりするのは決して不自然ではないということです。「かのんばかりが目立つ2期の描写は問題だ」という意見もバランスということを考えればその通りではあるのですが、かのん自身がそこから先を見据えた存在として描かれている以上、個人的には行く末を見守りたい気持ちの方が強いです。

 

  • 最終的な着地点は何なのか

10話までのストーリーが「Liella!として勝つこと」に焦点を当てていることはここまでで説明してきました。一方で、11話と12話に関しては「次の縦軸」に移行しているという見解も示してきましたが、これこそが澁谷かのんの才能と行く末なんだと思っています。結局2期の12話のタイミングでは中止になったものの、かのんがウィーンの音楽学校に留学するという話も、「才能」にスポットを当ててきたストーリーだからこそ次のステップとしてはするべき話なのだろうと解釈しています。

一方で、今このタイミングでは留学をしないということについて、ストーリー展開上の都合を考えなかった場合、何か納得の行く理由を示せるのかに関しては3期を待つ他にないという感じです。結局、2期の最後ではその部分は宙に浮いたまま終わっているので、「2期の着地点はこうだ」というのを自信を持って示すことはできないです。やはり1期の時と比べると全12話を通した時の「縦軸」としてのテーマは分かりづらくなっているとは思います*6。ただ、やはり全体としてはテーマを明確に設定した上で話が進められている印象は強く、その点に関しては監督の京極さん、シリーズ構成・脚本の花田さんをはじめとする制作スタッフに対して信頼を置けるというのが個人的な見解ですし、そこは誰が何と言おうと気にせずに主張していきたいところです。

この記事の最初のところでも言いましたが、結局作品に対する意見というのは人それぞれである以上、自分と違う意見についても否定や封殺をするのは違うと思っています。正直いって、自分はそんなに文章をロジカルに組み立てられるタイプじゃないですし、そういうのが得意な人はほかにたくさんいます。ただ、そういった人が「オレの見方が正しいんだ。お前の見方は間違っているんだ」みたいな言い方をされているのを見ると悲しくなるのも事実です。そこで最後に些細なお願いなのですが、自分も含めて他人の意見に対して異論・反論をぶつけていくというのは大いにやってほしいのですが、あくまでそれはその人自身の意見であってほしいということです。お互いに、その人自身の意見を言い合いつつ、見解の違いを楽しむくらいのスタンスでいきたいものです。

*1:例:恋「この学校にスクールアイドルを根付かせたい」

*2:だから擁護すべきという話ではないが、結局3期を見ないことにはちゃんとした評価はできないと思う

*3:絵森彩さんのツイートを見て結果だけ知ってるオタクも多いと思われる

*4:これはさすがに言い過ぎな気もするが、勝利という結果へのカタルシスが特別に大きいわけではないという意味

*5:四季の発明スキルに関しては特別といってもいいのだが、いかんせんギャグ的な要素が強く2年生の持つ能力のような強みとして扱われる場面は少ない

*6:というか、1〜10話と11〜12話+3期で別々に設定されていそうな雰囲気